徒然なる哲学日記

徒然なる哲学日記

日常生活の出来事にたいする考察(セネカの倫理書簡124通の英訳からの訳を公開してます)

「勉強法」を教える人は、マウントを取りたいだけ

 「哲学を修めるためには、どのように勉強すればよいですか?」と君は尋ねる。セネカとシュタイナーを読みなさい、と私は答えるだろう。

 

           by ブログ著者

 

 

 

 とまあ、別に冗談で書いた訳ではないのたが、こんな話も真に受けない方がいい。どの哲学者がいいとか、どの神秘思想家がいいとかは人それぞれだし、本を読むのが性に合う人もいれば、漫画やアニメや映画やドラマから哲学や霊学のヒントを得る人もいる。勉強するのは大切なことだが、どんな勉強方がその人に合うかはその人が好きに選択していけばいいのだ。

 

 それゆえに、よく東大出のタレントとか著名人が、「〇〇日で〇〇試験に合格する勉強法」とか、つまらないyoutuberが勉強法について有り難く語っていたりするが、その多くはしょうもない受験テクニックや暗記テクニックで、思考の本質を鍛えるものでも人格を修養するものでも何でもない。百害あって一利なしの垂れ流し思想であり、その多くは単なる彼らのたい体験談に過ぎない。こと勉強法については、自分で工夫して試したものが、一番学習の効率がいい。どんな勉強法かというのとはさほど問題ではない。「自分で工夫した」という点が大事なのだ。これは、受験勉強においても、人生においても同じである。例えば、英単語を覚えるのに、何度も音読するとか、毎日朝に単語を何個音読するとか書き取るとか、辞書の例文を書き写すとか、やり方は割とどうでもいい。自分でしっくりくるものを自分で工夫して選び取ることが大事だ。それは自分自身と対話する訓練でもあるし、自分の直観力を鍛えるのにも役立つ。そうした試行錯誤の経験というのはたとえテストの結果や受験の結果に繋がらなくても、自分の人生において大切な財産になる。最悪なのは、他人に言われるがままに勉強のやり方も決めて、自分で一切工夫や試行錯誤をしてこなかったパターンの人間である。そんな人間は、自分一人で考えて試行錯誤するという癖を持たない。「はじき」を使って速さと時間と距離の計算をしていた彼らは、大人になったら「フレームワーク」を使って仕事の問題を何か解決した気分になっている。自分の頭を使って工夫して生きてこなかった彼らは、職場でお絵描きをして遊んで金を貰う恥ずべき人間になるのだ。

 

 それなのに、「正しい勉強法はこれだ」などと言って単なる思いつきに過ぎない自説を権威づけたがる人間が尽きないのは、これまたマウントを取りたいからなのである。暗記だけは得意なバカがたまたまテレビで自慢できるような学歴を手にすると、自分は何か素晴らしい叡智も持っているのだと勘違いして、人を少しも賢くもしない、優しくもしない、立派にもしない、物分かりよくもしない「暗記テクニック」を、したり顔で披露する。そして同じように自分で考えるアタマを持たない哀れな視聴者(信者)達は、そのノウハウが書かれた本を買って(お布施を払って)自分が少しでも賢くなったと偽りの幻想で自分を慰めるのだ。