徒然なる哲学日記

徒然なる哲学日記

日常生活の出来事にたいする考察(セネカの倫理書簡124通の英訳からの訳を公開してます)

失敗が許されない日本の教育は、トライアルアンドエラーができる人間を育てない

 

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 部活動でも勉強方法でもそうなのだが、日本の教育現場では、失敗が極端に許されない環境にある。部活では一度所属したら辞めたら途中で部活を変えるなどすると教師や同級生から白い目で見られるなどし、勉強でも教師が「板書をしろ」「教科書を写せ」「授業をちゃんと聞いてれば大学には受かる」など寝言を言って勉強方法を細かく強制し、それに従わなければネチネチと嫌がらせをしたり、「自己流で勉強する奴は落ちます」などの暴言を吐いたりする。

 

 落ちてもいいのだ。自分がこうした方がいいんじゃないかと思って色々工夫することに価値があるのだから。部活動にしても同じである。負けてもいい。辞めてもいいのだ。自分がこうしたらいいんじゃないかと思って色々工夫するそのプロセスそのものが楽しいのだから。そして、練習の段階で失敗の経験を沢山積んだ人間ほど、実戦で強いものだ。だから日本のサッカーは世界で勝てない。体育の授業中に失敗するとキレるサッカー部を見てたらよく分かる。スポーツにおける失敗を悪しきものと考えているから、強くなれない。練習でも実戦でも「失敗という地雷」を踏まないことが目標になってるから、大胆な攻撃が出来ないし、所謂「楽しい」状態ではなくなる。だから日本のサッカー選手は引退したら社会人サッカーをやるのではなくゴルフをやるのである。常にスポーツを他人との関係の中での窮屈な「嗜み」としてきたから、純粋な面白さを何も知らないのである。勉強にしてもそうだ。試行錯誤の癖がついていない人間は、独学の習慣がつかない。だって勉強本来の楽しさを放棄してしまっているのだから。だからきっちりした勉強をしてきた人間は社会人になっても独学を続けるし、仕事においてもトライアルアンドエラーを繰り返すことが重要だと知っている。仕事において大切なのは失敗を上司に報告することではなく、何度失敗しても皆がそこから何かを学ぼうとする姿勢を持つ職場であることである。社内ルールがどうの、コミュニケーション能力がどうのと「後手」に回っている企業などもう救いようがない。

 

 人間関係においても、トライアルアンドエラーが許されなくなってきている。少し何かあればフェミニストは大騒ぎするし、所謂「陽キャ」でないと「陰キャ」だの「チー牛」などと、鉤括弧をつけて使うのも憚れるほど下劣な言葉を作ってまで必死で人を見下すような人間が溢れかえるようになった。自分では何か特別な努力をしなくとも、そういった蔑称で他人を見下せは、何か特別な人間になったような気持ちになれるからである。

 

 教師というのは自分の適当な思いつきやデタラメを学生に押し付ける内に、自分が何か特別優れた見識を持つ素晴らしい人間だと思い込むようになる。だから、いじめが起きても見て見ぬフリをするし、女子生徒を性欲の対象として見るようになる。こんな人間を見て育った学生は、社会人になると同じように、何の努力もしない癖に自分を何か特別は素晴らしい人間か何かだと思い込むようになる。素晴らしい成果なんてものは、絶え間なくトライアルアンドエラーを繰り返してみっともない姿を晒すことでしか得られないのに、そのみっともない努力ができない日本人は、ついには努力してる「フリ」をするようになる。それが、仕事熱心と言われる日本人の正体であり、日本人が仕事もせずにダラダラと職場に残ってダラダラと他人と下らないお喋りをしている理由なのである。

 

 人を見下すことと世間に対する所属と承認の欲求だけが生き甲斐になった日本人。こんな国民性から試行錯誤に寛容なGAFAみたいな企業が生まれるはずもない。試行錯誤が嫌いということは、要するに怠慢なのだ。決まったやり方だけやって安全に生きたい、決まったやり方だけやって受験に合格したい、学生生活を過ごしたい、ずっと同じ部活でゆりかごに包まれて生きて生きたい。なるほど確かにそういった生き方にはある種の既得権益があって一時はぬくぬくと過ごせるかも知れない。しかし既得権益とは利益であって利益ではない。真の利益は試行錯誤を繰り返した先に初めて生まれる。

 

 失敗が許されないということこそ、最大の失敗である。そんな国では無気力さが蔓延し、人間らしい生き方など望むべくもないだろう。ただレールから逸れないことに全身全霊を傾け、たまにレールから外れた人間を嘲笑ってはなんとかそれを維持するためのなけなしのモチベーションにする。だがそもそも、レールに乗り続けることを人生目標にすること自体が、人間らしい生き方というレールから、脱線し続けて、その列車は地獄の一丁目を走ってるのである。