徒然なる哲学日記

徒然なる哲学日記

日常生活の出来事にたいする考察(セネカの倫理書簡124通の英訳からの訳を公開してます)

承認欲求と毒親〜子殺しの事務次官についての考察も〜

 

 毒親とは何かというと、世間に対する所属と承認の欲求が強く、子供を通してそれを満たそうとする人達のことである。厄介なのは、承認欲求はキリがなく、際限なく生じるものなので、子供も際限なくそれに付き合わされて疲弊するという点だ。まったく毒親という連中は繁殖行為という人生目標を満たしたのだから、残りの人生は隠居するくらいの気持ちで子供の人生を応援すればいいのに、俗に毒親と呼ばれる人達は承認欲求をいつまでもいつまでも満たそうと、子供の人生を利用するありとあらゆる手段を考える。

 

 彼等の承認欲求はまたその親の〜とかそういう何か連鎖があるとかそんなことはない。単に彼等が強欲だというだけだ。ある程度の年まで生き延びて繁殖行為という人生目標を達成してるのに尚も有り余る承認欲求を持て余すということは、何のことはない、単に贅沢で強欲だというだけだ。もっとおいしいものが食べたい、もっといい女を愛人にしたい…といった欲望のようにキリがない。際限なく追い求め、しかもそんな風に欲望にキリがないことを何か崇高さの証だと本人達は本気で思い込んでいる。ちゃうど承認欲求に突き動かされた環境大臣がレジ袋の廃止とかプラスチックスプーンの廃止とか次から次へと下らないことを思いつくように、承認欲求の強い毒親は次から次へと下らない欲望を膨らませ、ある時は子供に下らない習い事を要求し、ある時は子供の交友関係に首を突っ込みその関係者に自分を承認して貰おうとし、ある時は子供の人生を妨害することで「世間」に対する承認欲求を満たそうとする。ちょうどとある事務次官ニートである自分の息子を殺し、「人を殺すかも知れないから」などという尤もらしい理由をつけて、自分の承認欲求を満たしたように。

 

 多分あの事務次官は息子が生まれてから死ぬまでずっと自分の承認欲求の肥やしにしていたのだろう。華々しいキャリアと不正行為に見合わない多額の退職金をもってしても尚、激しく尽きることのなかった承認欲求に突き動かされて人まで殺してしまった。戦時中でもないのに、人を殺してまで満たしたかった所属と承認の欲求って何なんだろう。そんな多大な労力を払って精神をすり減らしても、得られるチヤホヤなんてほんの一瞬で、刹那の快楽の後には、子供を殺した事実そのものに永久に苦しむことになる。もっとも、かの事務次官にしてみればそこまで精神のすり減ることでもなかったのかも知れない。麻薬中毒の人間が平気な顔をして麻薬をあおるように、慣れた感情で息子を滅多刺しにし、その行為で自分が世間から得られるチヤホヤはどんなものだろうと皮算用していたのだろう。出来れば執行猶予つきでと考えるあたりがより稚拙で惨めだ。晩年に息子を殺さなければ満たされないほどの承認欲求を持て余した人間の魂に、一生安泰なんて訪れないだろう。天国が彼に近づこうとも、彼の方から尽きることのない承認欲求という地獄に突き進んでいるのだから。