徒然なる哲学日記

徒然なる哲学日記

日常生活の出来事にたいする考察(セネカの倫理書簡124通の英訳からの訳を公開してます)

共働きしてまで稼いだ金を何に使うのだろう?

 共働きしないと生活できないというが、共働きしないせいで飢え死にした人の話なんて聞いたことがない。飢え死にしないのをいいことに子供がいるのに夫と別れて勝手に貧困に苦しんでるシングルマザーの話ならよく聞くが、徳があれば貧困は別に辛いことでも恥じることでも何でもない。そもそも貧困が辛ければ夫がモラハラだろうがなんだろうが別れなければいいだけの話で、いくらモラハラがひどかろうが命までは取られることはないのだから、貧困に文句を言うくらいなら少し我慢する方を選ぶべきだろう。それでも別れたいというなら自分の勝手だが、そうして選んだ道なら誇りを持って人生を歩むべきで、貧困に不平を唱えるべきではない。実際あらゆる女は、贅沢すぎる。

 

 共働きで働いて、世帯年収が1000万を超えるような家庭も珍しくないだろうが、そんなに稼いで何に使うのだろうととても不思議に思う。子供のような知性を持って海外旅行に行っても何ら有意義な経験は得られないだろうし、一軒家や高級マンションを買った所で不平不満が尽きそうな連中でもない。子供の教育に使うのかも知れないけど、日本という国の国力が落ちている以上、その中で社会に出るまでの競争を多少有利にするだけの教育にいくら金を掛けたところで、得られる利益や社会的地位なんてたかが知れているだろう。沈む船の上で少しでも高い所に行って沈むまで時間を稼ごうという努力は意味がないことはないかも知れないが、あまりにみみっちくて虚しい。それよりは、船自体を沈まないようにするか、あるいは溺れて死ぬことになっても静かにそれを受け入れる心を養うかだ。前者は望ましく、後者はより望ましい。少しでも高いところに行こうとする考えは、あまりに浅ましい。

 

 金がないと惨めだと思ってる人がいるが、金に人生を依存する方がよほど惨めである。そしてそんな人間ほど、いざ大金が手に入った所で、ロクなことに使わないのは目に見えている。子供の意に反する教育資金か、全く儲かる見込みのないそれも人任せの投資信託か、行く先の国の歴史や文化もロクに知らない旅行雑誌のスタンプラリーの海外旅行か、あるいは新車か、あるいはグルメか、あるいは愛人か娼婦か、ホストクラブか。彼等彼女等は金を稼ぐ手段も必死すぎて卑しいが、使う手段となるといっそう卑小なものとなる。大して仕事をしないで喚くだけで金をせしめる女性や、家庭進出に名を借りたヒモになる男性が、どういう手段で金を稼いでいるかというと、いずれもマトモな手段とは言うまい。そんなに金がないのが嫌なのだろうか。東京オリンピックの竹平蔵主導の中抜きに関しても思うのだが、正当な手段を経ずに稼いだお金で何かを買ったりしても、何も楽しくないと思うのだがどうだろう?貧乏が嫌なのだろうか?だが、卑劣なことをして平気なのは既に心が貧しいからで、心が貧しければ、幾ら金があったところで満たされることはない。貧乏が辛いと思うのは歪んだ心で、そんな歪んだ心は結局大金にも耐えられなくなるのだ。貧乏の時に彼の心を貧しくしたのと同じものが、今度は金持ちになると彼の心を発狂させるのである。

 

 そもそも今の時代、子供の教育には必要以上に金を使うのはナンセンスである。僕も自慢ではないが人並み以上の学歴があるし国家資格も持っているが、収入は人並みで、会社では声がデカく顔が怖いだけの低学歴に見下されている。見た目が大人しそうなので見下したくなるのだろう。つまり、学歴はさほど役には立たない。実際、僕も何かこの学歴で幸福になったと思ったことがない。それよりもむしろ、僅かな金で買える書籍や映画鑑賞などから得られた知識や感動の方が、人生に実りと幸福をもたらしたように思う。これは、学歴なんかなくとも手に入ったものだ。そして、金もそこまで必要ではなかった。

 

 パワハラをしてまで自分の立場に固執している管理職と何度か接したことがあるが、そんな無理をしてまで稼いだ金で何がしたいのだろうと常々疑問だった。子供の教育に使うにしても、そんな親を見て育つ子供の心が健全に育つはずもないし(親が会社でどんな振る舞いをしてるか等は、子供に筒抜けだと思った方がいい。パワハラ、セクハラ、モラハラの全ては、子供は自分への態度で親が普段他人にどう接してるかを敏感に察する。会社でハラスメントをする人は、家庭でも子供に行う)、どこかで歪みが祟って子供が引きこもりになったり何か少年犯罪でも起こすようになるであろうことは容易に想像がつく。親が歪んだ承認欲求から金を稼ぎ子供に訳の分からない教育を強いるならば、必然子供の心は歪むことになる。だから、金を稼ぐ時も最低限の良心に恥じない稼ぎ方をすることを強くオススメする。恥ずべき手段で稼いだ金を使われた子供は、結局恥ずべき思考しか育むことができないからだ。

 

 だから、卑劣な手段を使って金を稼いだり、必死の形相で無理して共働きしてまで金を稼ぐ必要なんてないのである。生活の不安だとか老後の資金がどうとか寝言を言う人があるかも知れないが、生活の不安なんて明日隕石が落ちるかも知れないし、大地震が起きるかも知れないし、北朝鮮から核ミサイルが飛んでくるかも知れない。そのどれもがあり得ることだし、どれも覚悟して生きるべきだ。逆に、そういった覚悟ができていない、自分は明日も明後日も死ぬまで安泰で老後までのんびり過ごせるのだと気楽に考えてるバカが、卑劣な手段で金を稼ぐのに夢中になったり、必死で夫婦で共働きに勤しむのである。彼等は仕事熱心なようでいて実は呑気そのもので、自分達の安泰が今後一生続くと信じて疑わず、将来に備えて蓄え蓄え、結局は今を台無しにするのである。

 

 子供の将来のためといって必要もない仕事にムキになって取り組む夫婦は、実は結局の所子供のこともどうでもいいと思っているのである。子育てはゲームじゃないし子供は自分が操作できるユニットでもない、一つの人格であくまで他人だ。他人だから、自分達の押し付けがましいご都合主義を遂行するように願うのは傲慢だし、他人だからこそ、親にそれほど金なんかなくても、勝手に学び、自分で成長していくのである。子供のために共働きをしているという夫婦は嘘をついている。子供のためでなく、自分達の薄っぺらくちっぽけで惨めな承認欲求のためにしているのである。全く、いい歳をした大人が承認欲求を生きがいにするとは見苦しい。親が自分で自分を認める姿を背中で見せないと、子供も自分で自分を認めることができない、承認欲求モンスターになる。経済的余力も精神的余力ももうあまり残ってない今の日本でそんな人間があふれたらどんな世の中になるか、およそ想像がつくだろう。現状すでにそうなりつつあり、もはや取り返しのつかない所まできてるかも知れないが、一人一人が世界を正しく把握し真理を探究することを怠らないなら、日本にはまだ、経済的には貧しくとも、精神的には豊かな国となる可能性がふんだんに残されているのである。今のままなら、金もなく精神的にも落ちぶれた国となるだろう。もっとも、精神面の落ちぶれは、今よりほんの少し下がる程度であろうが。