徒然なる哲学日記

徒然なる哲学日記

日常生活の出来事にたいする考察(セネカの倫理書簡124通の英訳からの訳を公開してます)

正気でいるためにブログを書く

 「現代は悪徳の創造という点において、天才的な時代である」と、2000年前にセネカは記したが、現代のことをよく表してる教えである。街でも職場でもテレビをつけても、これでもかというほど次々と新しい悪徳が量産され、よくもまあそれだけ沢山のスタイルの悪徳を皆持っているものだと感心させられる。思いつきで部下に仕事を振る上司は次から次へと本当に下らないことを思いついて仕事上での面倒なルールを増やすし、電車内で人に迷惑をかける行為はトナラーをはじめとしたステルス行為が次々と考えだされ、環境大臣や経済再生大臣は次々と天才的に下らなく不要な政策や聞いてて不快にしかならないポエムを思いつき、もやは天才だらけの世の中になってしまった。

 

 そんな連中が何を思ってどんな思考回路で、そういった悪徳を次から次へと天才的に思いつくのかは知らないが、天才の考えに振り回されると僕のような凡人は思考回路が全くついていかない。せいぜい彼等は過度の承認欲求に固執するあまり狂ってしまったのだろうとありきたりな推測をするばかりである。しかし、本当は何か、深く切実で、悲しく切ない理由が彼等の中にあるのかも知れない。あえてバカを演じることで世の中の人達に反面教師として役に立っているとか、電車の乗り降りの際にスマホをいじることで資本主義社会に抵抗しているとか、大臣が意味不明なポエムを披露することで、どんなバカでも大臣になれるんだと国民を勇気づけるとか、何かみんなそういった大変深い思索や信念があって、そのようなバカを演じているだけかも知れない。もしそうならどこかで一度は胸の内を披露して欲しいものだ。彼等にそんな深い深い思想があったならば、僕も自分の考えの浅はかさを反省して、彼等に謝り、彼等に倣わないばならない。

 

 どんな人間でもきっと何か事情があってバカなのだろうが、あまりに天才的に悪徳を思いつく連中が多すぎて、僕の理性は追いつかない。せいぜいこうやって、ブログで彼等の悪徳を描写し記録し考察することで精一杯だ。正気を失った人間があまりに多く、普通に生きてるとその影響はあまりに強い。正気を保つためには、こうしてブログに書いていくしかない。ブログとは一種の箱庭療法みたいなもので、思考や感情を整理して配置することで、自分の世界を作りあげ、心に落ち着きと安定をもたらす。これからの日本でますます重視されるようになる「内面の幸福」を保つために、ブログは必須のものになっていくかも知れない。正気を保ちたい人は、ブログを書こう。