徒然なる哲学日記

徒然なる哲学日記

日常生活の出来事にたいする考察(セネカの倫理書簡124通の英訳からの訳を公開してます)

自分で自分を信頼すれば、人の評判はさほど気にならない

 「彼は信用ができない」と会社のぶくぶく太ったタヌキ面の上司に言われたことがある。その言葉も信念に基づいたものであれば謹んで受け取ろうと思うのだが、信念も矜持も何もない人ほど、ドラマの影響か漫画の引用かでこういったセリフを言いたがる。コロナに対応する中で「勝負の3週間」とか何とかそんな言葉を使いたがる人がいたが、彼も同じく、信念も矜持も何もないだろう。

 

 面白いことに、信念のない人ほど簡単に、「彼は信用できない」などと言う。それって単に、自分に自信がないから、確信を持ってその人と接することができないというだけではないだろうか?

 

 とはいえ、こんなふうに立場だけ上のおっさんに偉そうにされたり、悪い評判を立てられて「信用を落としたかも知れない」なんて不安になる人もいるかも知れない。が、心配は無用である。人は自分自身に恥じることをしなければ評判を落とそうが悪く言われようが、何一つ気にする必要はないのだ。もっと言うと、自分で自分を信頼すればいい。信じるとは少し違う。信頼するのだ。信頼には単に信じるというよりも、尊重するといったニュアンスが加わる。

 

 「僕は、自分を信じてます」というよりも、「僕は、自分を信頼しています」と言った方が、なんかかっこいいだろう。だから、自分で自分を信頼するのだ。単に信じるのに比べて自分を甘やかすことなく、高次の次元から厳しく判断して、それでいて優れたと思える点はきっちり評価するのである。厳しいけれども部下をしっかり見ていてくれる上司のような存在を、自分で自分の心の中に作るのだ。何故なら昨今、そんな上司の存在は稀になってしまったのだから…。彼等はテレビやスマホが煽るようなあらゆる欲に負け、異様なまでに自我が肥大して欲望が膨れ上がってるので、そんな信念を持って生きてる暇などないだろう。部下と見れば、どうやって自分の自己顕示欲を満たす手段にするか、どうやって昨日ドラマで見たセリフの試し相手にするか、どうやって新入社員の女の子に俺が良く見られるための当て馬にするか…なんてことしか考えてない。冗談とか比喩表現ではなく、本当に。だから、今の日本で、職場の人間関係に信頼を求めることはとても難しい。

 

 だから、自分で自分を「信頼」して時に厳しく批判し、時に寛容に見守ってやろう。自分の感覚というものは侮れず、他のどんな優れたと思えるような人でも、そう簡単には分からないことを知っていたりするものだ。これは単に自分の頭の中は他人には見えないのだからとかいうそういう問題ではない。この感覚は全ての人に備わっている。それでいて、問題に対しては優れた答えを「客観的に」用意できるのである。思考の力を高めたものであり、善に向けて3歩進んだ霊視の力でもある。

 

 だから、自分で自分を信頼しよう。信頼を維持するには、尊敬する人の本を読んだり、優れた思想に触れたりすることも良い補助となる。ブログであれば、「itスペシャリストが語る芸術」という優れたブログがある。哲学者であれば、セネカルドルフ・シュタイナーといった真の天才と言える人達の書籍が、全てではないが手に入るものが沢山ある。これは別に人によって違ってもいいが、上にあげた人たちはいずれも極めて優れた思考力と洞察力を持っているので、謙虚に彼等の書いたものに取り組めば、落ち着いた思考と冷静な態度を得る手助けになるだろう。そしてそういった落ち着いた態度は、自分への信頼に繋がる。自分を信頼することを覚えた人は、移ろいやすい他人からの評価を気にすることがどれだけバカらしく、どれだけ無意味なことかを知るだろう。何故ならそれらは不安定で確固とした基盤がなく、落ち着きのない態度から下されたものだからである。