徒然なる哲学日記

徒然なる哲学日記

日常生活の出来事にたいする考察

承認欲求は人生を蝕む麻薬

 学校でのいじめや会社でのパワハラ毒親から子供への抑圧などは、加害する側の承認欲求が原因である場合が極めて多い。この承認欲求というのがまた厄介で、「人に認められたい、チヤホヤされたい」という動機をモチベーションに何かを頑張るのは一般に何かよいこととされている。しかしこの承認欲求が、あらゆる悪徳と苦痛の原因となるとことを分かっていない人が多い。そして承認欲求とはキリがないものなので、それを求める者は絶え間なく周囲から奪い続ける。そして、いじめをして自殺に追い込んだり、パワハラをして退職に追い込んだり、子供を引きこもりにしたりして、自分の力を他者に行使することを通して自分の力を周囲に示し、ちっぽけな承認欲求を満たそうとする。しかしそんなものは、一時は自分の評判を上げたように見えても、結局周囲からの評価は時間が経てば然るべき所に落ち着き、再び満たされない承認欲求に苦しみ、周囲に絶え間なく害悪を振り撒くことを繰り返し、廃人のようになっていき、果ては池田小附属の事件の犯人宅間守のように、承認欲求のために無関係な子供を殺すようなモンスターが生まれるようになるのである。ではどうすればそのようなモンスターにならずに済むのかというと、自分で自分を承認する癖をつけなければならない。絶え間なく他人に要求するのでなく、自分で自分を承認すれば問題は一瞬で解決するのだ。これができる人間を大人といい、できない人間を子供というのである。ところが日本では、他人に承認されることを人生における何よりの目標にしてる幼稚な人間が溢れているから、自分の人生を荒廃させその尻拭いを他人にさせようとする腐った輩が後を絶たないのである。他人に阿るのではなく、ストア学派のように自然に従うことを人生の目標にすれば、歪な承認欲求に苦しむこともなくなる。

 

 長時間労働や無駄な残業に勤しむ輩も、承認欲求につき動かされてのことだ。こんなに長く働いてる自分を認めて欲しい、女の子に注目されたい、出世して周りにヨシヨシして貰いたい。ある程度はそういった欲を持って仕事する方がモチベーションになるかも知れないが、そうした他人の責任に依存した幸福は移ろいやすく不安定だ。上司や女子社員の機嫌や噂話一つに簡単に左右されるし、運良く名声が得られた所で、今度はそれを維持するのに多大な労力と気苦労を必要とする。そして、失われやすいからイライラして麻薬中毒の患者のように精神が不安定になる。だから残業や長時間労働が好きなバカというのはいつもブスっとした不機嫌な顔をしたガキみたいな人間が多く、本当は仕事が好きでも何でもないのに不要な仕事を生み出しては忙しそうに忙しそうにするのだ。そして、そんな人間ほどコロナが流行ればこれを待ってたんだと言わんばかりに、ありとあらゆる言い訳を使ってテレワークや自粛に励み、「俺は仕事のやる気はあるけどコロナで仕方なく休むんです〜」と嘯くのだ。承認欲求とはかくも人間を恥知らずにする。素直に「働きたくないしコロナでサボれてラッキー」とでも言えばいいのに、労働生産性が低い仕事熱心な日本人はそんな発言を許さない。サボる時ですら必死で働いてるフリをして、承認欲求を満たそうとするのである。

 

 そもそもこの承認欲求を生きがいにする人間というのはどういう種類の人間かというと、大した努力もしないで周りに持ち上げられて生きてきた人間である。少し勉強ができたり、少しスポーツができたり、運良く成功できただけの人間が愚かにも自分は何か大勢の人に注目される価値のある人間だと錯覚し、以降ずっと他者承認を生きがいに人生を歩むことになる。

 

 一方で、自分で自分を認められる人とはどういう人かというと、いくら努力しても無理をしても他者に認められず、無気力に陥るような経験を何度もしてるタイプの人間である。このタイプの人間は努力家で、あらゆる分野で他者以上の努力をする習慣がついてる人が多い。工夫する癖も身についてるから、仕事も効率的にこなす。だから、無駄に長時間働く人とは全く分かり合えない。何故なら、長時間労働をする人というのは、どうでもいい遊びをダラダラして他人に褒められたがってる気持ち悪い子供のような存在だからだ。仕事はさっさと終わらせてさっさと帰って、好きなことをしたいと思うのが自分で自分を認められる人なのである。多大な努力をする内に、他者に認められることを目標にするのをやめ、自分で自分を認めることができるようになった人は幸福だ。それは自然に従うことで、徳を培う生き方でもあるからだ。そして信念は、自分で自分を認め信じることのできる人にしか生まれない。即ち、承認欲求を生きがいにしてる人に信念はなく、彼等は周囲に認められるならいじめや人殺しに喜んで従事するだろう。彼等は他者の奴隷で自分の時間を持たず、自分の人生を他人に明け渡してるのである。それは神から与えられた人生を自らドブに捨てるようなもので、人生を全く無駄にしているのである。

 

 この世に自分の感覚ほど信頼できるものはなく、承認欲求ほど信用できないものはない。承認欲求は一時の快楽を与える分、多くの人に受け入れられやすいが、それは人生を蝕む麻薬なのである。