徒然なる哲学日記

徒然なる哲学日記

日常生活の出来事にたいする考察(セネカの倫理書簡124通の英訳からの訳を公開してます)

「いいこと考えついた…!布マスク配布します!」

「なるほど!流石総理!布マスクなら洗って使いまわせるし、この機会に布マスクの良さを国民の皆に分かって貰えますね!」

「そうさ、僕は現金なんかを配るより、布マスクを配ることで、国民の命を守りたいと思ってるんだ。命あっての金だからね」

「なんて優しい総理なんだ!」

「それに、僕は東京オリンピックを何が何でも実現させたいと考えてる。そのことを考えたら…現金配布なんて有り得ないと思うんだ。大切な、オリンピック資金だからね」

「素晴らしい…」

「総理最高!」

「よせよ、あくまで国民のためにやってることさ…」


 ブラック企業で突然謎の社内ルールが出来上がる。「今度から朝は皆15分早く来るようにしましょう!」「今度から書類を通す時は〜部署を通しましょう!」挙げればキリがないが、大体どこのブラック企業でも、余計な手間が増えるだけで、作業効率が悪くなるだけであり、残るのは無駄な作業をルール化した人間の無意味な満足感と達成感にある。


 恐らく政府は「布マスクが繰り返し使えることを発見したぞ!これの使用を国民の皆にルール化しよう!現金配布なんかよりよっぽど有用だ!」とか何とか考えているのだろう。ブラック企業の社長が「社員の皆のためにボーナスを減らした。だが、この機会に早朝出勤を取り入れたから、皆協力して欲しい」とか言ってるのと同じレベルである。いやマジで。


 国が貧しくなってくると、為政者は意味不明な政策を連発するというのは歴史の常だ。大平洋戦争中に敗色が濃くなった大日本帝国が、神風特別攻撃隊という、自軍の戦力・戦闘機をゴリゴリ削る自滅行為を積極的に推しすすめたように。残った兵力を必要な箇所に纏めて犠牲の少ない戦い方をするという当たり前のことができない。今の日本も、残った金を必要な所に回して、そうでない所は節約するという当たり前のことができない。東京オリンピックなんかに使う金があれば、現金を配布すればいいのに、それすらせず、布マスクなんて無駄なものの配布に金を使う。断言するが、配布した次の日には駅のゴミ箱はダサい布マスクで溢れていることだろう。布マスクなんか使うくらいなら、マフラーでも巻いていれば充分間に合う。ツイッターでも配布布マスクを何に使うかという大喜利で賑わうことだろう。


 日本のトップの体質からして、 現金配布は絶対ないだろうと考えていたが、まさか無駄なことをするとは思わなかった。コロナウイルス云々以前に、日本はオワコンということかも知れない。沈みゆく船のなかの残された資源を、生き延びるために使わず、その船の中で自分が威張るために使おうとする金持ちのようだ。


 特攻隊を考えついた大日本帝国の上層は、自分は何か画期的な素晴らしく頭のいいことを思いついたような気分でいたことだろう。そしてその命令を実行させることに、偉大な自己実現を見出したことだろう。今の日本政府もこの布マスクという画期的かつ頭のいい発明を全日本国民に知らしめることに、偉大で崇高な達成感と使命感を感じ、自らをシュヴァイツァーと同一視して自己陶酔してるかも知れない。少し前に森元首相が神の試練だの何だの言っていたように。ブラック企業でポエムが流行るのに似ているかも知れない。


 この状況になっても東京オリンピックが惜しいかと思うと甚だ疑問だ。そもそも開催なんてしなければ金も余力ももっとあって、現金を配れたかも知れない。 良心が残ってるなら今からでも返上するべきだ。競技場は…運動公園か何かにでもするといいだろう。


 とりあえず布マスクが届いたら駅のゴミ箱に捨てておこうと思う。どうせダサいデザインで肌触りが悪く、一度洗ったらボロボロになるだろう。いや、もしかしたら無駄に頑丈に、金をかけてつくるかも知れないが…。