徒然なる哲学日記

徒然なる哲学日記

日常生活の出来事にたいする考察(セネカの倫理書簡124通の英訳からの訳を公開してます)

古代ローマの最も偉大な哲学者「セネカ」の名著、「人生の短さについて」

f:id:potemalu02:20210110133225p:plain忙しい人にとって人生は短い。

 

セネカ古代ローマの最も偉大な哲学者である。

 ルキウス・アンナエウス・セネカ〔紀元前1~65年〕という古代ローマの哲学者をご存じだろうか?クラウディウス朝時代の人で、幼き日のネロの教師も務めたことがある人物だそうだ。今回は、彼の名著「人生の短さについて」という本を紹介する。この本は、全ての日本人が100回音読すべき名著である。古代ローマにこのような偉大な哲学者がいたことを、僕はこれまでの人生で知らずにいたことを大いに恥じた。それほど偉大な思想を持つ哲学者なのである。その理由を以下につらつらと書いていく。

 

・人の人生は十分に長い

 「人生の短さについて」というタイトルを目にした際に僕は浅はかにも、「人の人生は短いから一生懸命働けとか、勉強しろとか下らないことを書いているのだろう」と愚かな推測をしてしまった。彼の主張は全く逆である。しかし、単に長いと言っている訳ではない。以下の分を参照にされたい。

 

『じっさい、ひとの生は十分に長い。そして、偉大な仕事をなしとげるに足る時間が、惜しみなく与えられているのである。ただし、それは、人生全体が有効に活用されるならの話だ』(人生の短さについて、1.3より)

 

 つまり、人生は長いのに、無駄遣いすることで短くなってしまうということだ。ここまでなら現代の一般的なレベルの思想といっていい。しかしセネカが偉大である理由は、彼が立派な社会的役割に従事する人間や、忙しく働く人間についても、人生を無駄にしていると言及している所である。以下の文を参考にされたい。

 

『多忙な人は、みな惨めな状態にある。その中でもとりわけ惨めなのは、他人のためにあくせくと苦労している連中だ。彼らは、他人が眠るのにあわせて眠り、他人が歩くのに合わせて歩く。だれを好いてだれを嫌うかという、なによりも自由であるはずの事柄さえ、他人にいいなりにならなければならない』(人生の短さについて 19.3より)

 

 おわかりだろうか。セネカにとって「多忙な人」は、社会的に立派であろうが、どれだけ沢山の人に尊敬されていようが、富があろうが、等しく惨めなのだ。それはひとえに、奴隷の鎖自慢に他ならないからだ。現代の忙しく働いている全ての日本人は、これを理解して欲しい。他人のために自分の時間を犠牲にする人間は、等しく自分の人生を無駄にしているのである。そんな人にとって、人生は短く無駄なものになる。

 

ブラック企業で働く人も、上司や同僚にアピールするために長時間労働や残業に勤しむ人も、流行りものにとびついてレジャーや娯楽や飲み会に必死になる人も、酒や性(セネカ曰くこれほど恥ずべき時間の使い方はない)に夢中になる人も、等しく人生を浪費しているのだ。以下に、2000年先の日本を予言していかたのような、セネカの言葉を引用する。

 

『彼ら(酒と性に溺れる人たち)はどれだけ長い間、宴会をしているかーー今や、宴会に出ることが仕事になってしまっているではないか』(人生の短さについて 7.2 一部改変)

 

『彼ら(人生を浪費してる人たち)は、理髪店で薄くなった髪を前のほうに寄せ集めたりしている』(人生の短さについて 12.3 一部改変)

 

ボードゲームとか、球技とか、日光浴などで人生を浪費している人たちの例を、ひとつひとつ挙げていくときりがない。ようするに、そんなことに一生懸命にならなければ楽しめないような人は、閑暇な人とはいえないのだ』(人生の短さについて 13.1)

 

 どうだろうか?飲み会で若い女の子とお喋りすることを目当てに会社に来てるおっさんや、いい年して髪の毛を必死で寄せ集めてハゲを隠すことに腐心してるおっさん。下らないレジャーやスポーツ観戦などに夢中になってSNS映えを目論むことに必死な現代人たちを、まるで実際にその目で見たかのように予言している。つまりそれほどまでにセネカの慧眼は鋭く、彼が物事の本質を見抜く優れて思想家だったということである。では、どのように過ごせば、人生を浪費せずに、十分に長いものとして活用することができるのだろうか?そのことについても、セネカはしっかりと教えてくれている。

 

・真の閑暇は、過去の哲人に学び、英知を求める生活の中にある

 『すべての人間の中で、閑暇な人といえるのは、英知を手にするために時間を使う人だけだ。そのような人だけが、生きているといえる。というのも、そのような人は、自分の人生を上手に管理できるだけでなく、自分の時代に、全ての時代を付け加えることができるからだ』(人生に短さについて 14.1)

 

 つまりは、過去の偉人に学び、自分に向き合う時間を持て、ということなのだろう。あらゆる時代を付け加えることで、自分の時間もうまく使うという表現はとても面白いし、見事だ。実際、多忙な人は、自分と向き合っていない。自分自身と向き合うことに耐えられないから、他人に依存して虚しさを埋めようとし、結果、人生を浪費する。ブラック企業でいくら働いても給料も上がらず、人生が豊かにならないのと同じで、他人のためにいくら時間を使っても、自分の人生を豊かにすることはできないのだ。

 

 過去の偉人は、具体的にはソクラテスプラトンセネカは挙げているが、今の時代には、ルドルフ・シュタイナー等の優れた哲学者の著作をふんだんに読むことができるし、「ITスペシャリストが語る芸術」などのいいブログも多数存在する。そういった優れた思想家達と静かに向き合う時間は瞑想に例えられるといっていい。瞑想の中で、彼らは我々の師となり、兄弟となり、友人となり、人生に大きな幸福をもたらしてくれる。瞑想を通して自分と向き合う人にとって、人生は限りなく長く、豊かで実りあるものとなるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※Kindke unlimitedなら無料で読めるが、個人的にはこれほどの名著は金銭を払って読むことをオススメする。ちなみに僕は、電子書籍と紙の本を買った。書き込み用と布教用に、もう何冊か買おうか迷っているところだ。連続スクロールができるibooksもオススメである。