徒然なる哲学日記

徒然なる哲学日記

日常生活の出来事にたいする考察(セネカの倫理書簡124通の英訳からの訳を公開してます)

ニートと優生学について

折角ニートになったので、余った時間を利用してニート優生学について考察してみたいと思う。その前に優生学という言葉についての説明が必要だろうか。

 

優生学ーーーとは、簡単に言うならば、弱い遺伝子は淘汰して、優秀な遺伝子だけを子孫に残して、人類をより強化しようという「学問」である。かつてナチス・ドイツで実践され、障がい者の殺処分や断種法という形で、「劣る」とされる遺伝子を淘汰した。日本で昭和時代に実践され、少なからず断種された人々がいる。

 

さて、ニートに関してだが、ニートというのは今の日本における労働市場に馴染めなかった「劣等な」遺伝子を持った人達と考えていいだろう。よって、淘汰するために差別、批判、弾圧が許されるといった風潮がある。女性の多くがニートになるような男性を忌み嫌い、また、仮に「劣等な」遺伝子をもった男性が社会復帰でもしようものなら、あらゆる手段を使って淘汰し、劣等な遺伝子をコミュニティから排除しようと努める。

 

こう考えるとニートは本人の努力不足というよりは、劣った遺伝子を持つために必然的に「労働市場」というコミュニティから淘汰された存在と言えるだろう。「中年童貞」という言葉があるが、彼等もまた、劣った遺伝子を持つためにいつまで経っても童貞で、マトモな職場では女性から忌み嫌われ淘汰され、介護職のようなブラックな仕事にしか就くことができなかったのだろう。

 

さてニートや中年童貞が社会や女性から必然性を持って生み出された存在とするならば、彼らを非難する権利が社会のどこにあるだろうか?論理的、道徳的、倫理的に考えるならありえないのだが、優生学を基盤とする社会は、自分達の手で弱者を作り、作り出した弱者を追い込み、最終的には自殺に追い込むことで、優れた遺伝子を後世に伝えようとしている。

 

なんとも悪魔めいた思想だが、現実にはこの悪魔が跋扈して巷を歩き回り、「劣った」遺伝子を持つ人間を削除しようと舌なめずりをして這い回ってるのが現状だ。

 

陰キャ」なんて言葉が流行りだしたこの2〜3年、東京オリンピックに向かって優生学による淘汰がますます広まっていくことを示唆しているのだろう。