- 作者:ヴィクトール・E・フランクル
- 発売日: 2002/11/06
- メディア: 単行本
現在、いじめにあってる子供(には少し難しいが…)や、ブラック企業で理不尽な目に遭ってる人(僕のことだ)に是非とも読んで欲しいものである。
本の内容を簡潔にまとめると、以下のようなものだ。
『人間は、どんなに理不尽な状況でも、辛く苦しくても、自分の意志に従い、気高くあることができる』
つまり、人間は自由だということだ。よく哲学の命題で、人間は自由な存在なのか?環境や遺伝子、状況に左右され、その電気的・神経的な反応の結果としての行動があるのみで、自由な意志など存在しない、と言われる(代表的なのはカントの純粋理性批判)。
この著者は、収容所で極限状態にあっても、自らの内面に拠り所を見出し、他者に親切にしたり、神に祈ったり、希望を見失わなかった人達のことを記している。もちろん、死んだしまった人もいるが、だからといって、その死に価値がなかった訳ではない。むしろ『どんな態度で死んでいくか』に価値が、意味があるのだと強調している。
哲学者、神秘学者のルドルフ・シュタイナーは自由の哲学の中で、どんな状況にあっても、自分自身に従うことのできる人が自由なのだと述べた。
- 作者:ルドルフ シュタイナー
- 発売日: 2002/07/01
- メディア: 文庫
収容所では、様々な理不尽に苦しめられる。ちょうど労働を賛美する今の日本で、資本主義社会で、様々な理不尽な思いをするように。監督からのつまらない嫌がらせ、整列してる時に列がほんの少し乱れていたら殴られる、床がほんの少し汚れていたら殴られる、労働に不向きだと見なされたら、ガス室送りにされる、侮辱され、罵倒される、などなど…いずれも日本の会社社会でもよくあることだが…。
でも、そんな状況にあっで、自分を貫くことはできる。幸い、今の日本には、表現の自由がある。自民党の悪口を書いたからといって処刑されることはない。クソ上司やクソ会社に理不尽な思いを強いられ苦しめられても、こうやってブログで高尚(?)な哲学を語ることで、自分を見失わずにいられる。たしかに、自分の理想に従い生きる限り、人はどこまでも自由だ。会社の糞みたいな人間とは裏腹に、どこまでも高潔さを求め、羽ばたくことができる。
状況は関係ない。常に自分自身の理想に従うことはできると、ヴィクトール・E・フランクルはいう。つまり状況に依存せず、自分らしく生きろということだ。それは厭世主義になることではないし、無責任になることでもない。むしろ自分生き方に責任を持つということであるし、このように自律することは人間に課せられた責務た。
労働に依存してはならない。集団に埋没してはならない。常に自由を目指し、自分自身の心の声を大切にすることだ。コロナウイルスもきっとそんなことを教えているだろう。
この「夜と霧」は僕の敬愛するブログ「itスペシャリストが語る芸術」で頻繁に紹介されているものであり、僕が名著とおススメする下記の本
仕事なんか生きがいにするな 生きる意味を再び考える (幻冬舎新書)
- 作者:泉谷 閑示
- 発売日: 2017/01/28
- メディア: 新書
内でも頻繁に紹介されている。またシュタイナーの自由の哲学の理解を深めたいという方にも、おススメできるものだ。
辛い状況、苦しい状況にある人に、是非とも読んで欲しい本だ。現実を変えることはできなくとも、あなたが気高く生きることの一助になることは保証しよう。現在3周目を読み進めている。優れた本は自ずと読者に周回を促すものだ。神ゲーのように。