徒然なる哲学日記

徒然なる哲学日記

日常生活の出来事にたいする考察(セネカの倫理書簡124通の英訳からの訳を公開してます)

気張って何かをするのは時代遅れ、ブログもそう



 久しぶりにブログを書いていい気分でいても、ネットサーフィンをしてると「アフィブログはオワコン」とか「ブロガーのスタートは最低100記事から」とかウキウキ気分で書いてる僕のやる気が失せるようなトピックが嫌でも目についてしまう。そしてこのはてなブログのトップで紹介されてる記事といえば今日の料理だとか高額商品の使い勝手だとかスポーツ選手のどうでもいい私事だとか横文字だとかでそんなブログが沢山のpvを集めてるかと思うとイライラする。ただの八つ当たりには間違いないのだが、とてもイライラするのだ。


 コロナウイルスパリピ的な価値観の終わりを告げている。即ち…「ガツガツ仕事すること」「ハンガリー精神」「売れること」「有名になること」「バズること」を必死になって追求するのはもう古いということだ。それでも日本人には宗教レベルで「何かを必死になってやること」がいいことであるかのような価値観が染み付いているので、何もしないでいたり、休日を無為に過ごしたり、仕事をしていなかったりすると罪悪感を感じるみたいだ。


 この罪悪感という感情は一見真面目さに基づいているように見えて、その背後にあるのは依存心だ。自分の価値を誰かに決めて貰おうとするから、罪悪感のようなものを抱く。休日の過ごし方についても、旅行だとかデートだとか、人様に自慢できるようなことをしてない人間は異常者の発達障害者扱いされたりする。別に休日に一日中家に引きこもってスマホをいじっていて何が問題あるのだろう?コロナウイルスに感染するリスクも減るし、消費も抑えられ、いいことだらけじゃないだろうか?


 同じようにブログだって、別に100記事を気張って書く必要はないし、99記事だっていい。有名じゃなくていいし、稼げなくてもいい。自分のペースで楽しく書ければいいのだ。そう自分に言い聞かせはするものの、中身がない癖にやたら閲覧数の多いブログを見るとイライラしてしまうのは、嫉妬心みたいなものがあるからなのだろうか。いや違う、クソ記事を見てイライラするのは会社で仕事してるフリをしてる癖にドヤ顔で偉そうにする連中を見てる時に感じる不快感に似ている。


 神ブログ「itスペシャリストが語る芸術」を紹介しておく。毎日更新されており10年以上も続けられている。ボリュームが凄いし、何より凄いのはその中身だ。社会学や心理学、神秘哲学に対する考察が素晴らしく、こういったブログがこれからの日本を牽引していくだろう。はてなブログにもこのレベルのブログが毎日ランキングのトップに紹介されるようになって欲しい。それが無理なら僕のブログを毎日ランキングのトップで紹介するべきである。全ての意識高い系社会人は僕のブログを音読し、アフィリエイトを通して優れた書籍を読んで世界に貢献すべきだ。


itスペシャリストが語る芸術

http://www.kaynotes.com/


 さてこのブログの著者であるkayさんは毎日記事を更新しており読書家で早起きで勉強家であり非常にストイックだが、アフィリエイトだけで生活は難しいという非常に謙虚な方だと言えよう。クソ記事を書いて沢山の広告料を貰ってる有名ブロガーは恥を知るべきである。今日のお前の家の晩御飯など死ぬほどどうでもいいのである。それなら栄養学や植物学の話でも取り入れて勉強になるブログを書くべきである。それか料理マンガでも描くか。


 流行りにのった新商品や新itサービスを横文字を交えて意識高く紹介する人達も、このオワコン資本主義社会に媚びる悪しき連中だと言ってよいだろう。むしろ今の時代に紹介すべきは温故知新的なものがいい。古典とか、アナログな人生の楽しみ方とかである。その方がウケる。絶対。僕の敬愛するルドルフ・シュタイナーは100年も昔の人だが、その語る内容は今でも非常に斬新で、真新しい。先日紹介したヴィクトール・E・フランクルの「夜と霧」も自分の精神生活を充足させることが要求される今の時代に、非常にタイムリーと言っていいだろう。


 ブログでは新しい商品を紹介することがよしとされるが、むしろ古くて誰も見向きもしないようなものの価値を再発見し、それを自分の感性を交えてプレゼンすることの方が、これからの時代のブログでは大事になってくるかも知れない。もちろん、新しい商品やサービスが人を幸福で、自由に豊かにするものであれば、それは多くの人に知られて然るべきだろう。しかし、新しいから、有名だからという理由だけで、注目を集めるためだけにブログの記事にするのはもうあまりよろしいことではないだろう。コロナウイルスという新しいネタをふんだんに取り入れているこのブログが言っても何の説得力もないだろうが、ご容赦頂きたい。


 「SNS疲れ」みたいなものにブログの世界が侵されないことをいつも祈っている。薄っぺらい名言や破綻した論理がバズるのはツイッターの世界だけで充分だと思う。たったの140文字しか書けない世界ではそれでいいと思うが、基本的にいくらでも文字数を増やせるブログという世界で薄っぺらいことをするのは勿体ない。気張って流行や横文字を追求すれば、自ずと中身は薄っぺらくなるだろう。気楽に構えて、99記事できたら完成というくらいの気持ちで、自己を深めるような記事を書いていくのがおそらく良心的?なブロガーのあり方だろう。