徒然なる哲学日記

徒然なる哲学日記

日常生活の出来事にたいする考察

ブロガーこそ現代の真の哲学者

 現代社会で哲学者を名乗るに値するのは、およそブロガーをおいて他にいない。なんたら大学の有名な哲学の教授だの東大京大の偉い思想家だの知識人だの、何たらの壁とかいう下らない本をタイトルだけでベストセラーにした人だの、そんな肩書は哲学者たる何の証にもならない。何故なら彼等は日常から何かを学び、それを万人に開かれた形で表現するという哲学者の責務を果たしていないからだ。

 

 ブロガーは頻繁にブログを更新し、人生についての新たな知見を無償で万人に提供する。かつての偉大な哲学者達が街に繰り出しどんな若者とも対等に話し合ったように、ブロガーは全ての人に平等に接する。決して大学に引きこもって狭いコミュニティで偉そうに愚にもつかない自説を語るような愚かな真似はせずに、テレビで汚い顔を見せつけて愚かな理論を語るような真似はせずに、万人からの批判を受ける覚悟で、男らしく、理性によって緻密に練られた文章で世界を読み解くための知見を、日々探究しているのだ。

 

 「itスペシャリストが語る芸術」という優れたブログがあるが、著者のkayさんを優れた哲学者だといって、批判する人などいないだろう。それに引き換え、大学の教授だの、学校の倫理の先生だのといったゴミみたいな存在が、恥知らずに「哲学」の周りを逍遥するなど、これほど知性が侮蔑された時代はそうはあるまい。彼等の中ではひどいのになると、Twitterなどという猿の御用達SNSで低劣な理論を披露する。たった140字程度で人からチヤホヤされようとするのだ。マトモな人間である筈がない。そもそも、個人的には大学教授や思想家を名乗りながらツイッターなんぞで自説を垂れ流すのは、とてもみっともないと思う。若者ウケを狙ってるのか知らないが、若い人と繋がりたがってるキモいおっさんにしか見えないのだ。これは大学教授もそうで、哲学をするのに、わざわざ若い人達に対して絶対的に優位な立場を取れる大学教授である必要はない。むしろ、対等な議論ができなくなってしまうだろう。ブログ一つあれば、人はいつでも哲学者になれる。セネカのいうところの、「万人に自分の時間を与え、万人の時間を自分に与えることができる」のである。大学教授というのは、下らない課題や自説の押し付けで学生の時間を奪い、また低劣で卑猥な妄想をすることで自分の時間をも無駄にする。大学で行われている哲学の授業の殆どは色ボケした老人の下の世話である。そして更に若い女の子と繋がりを持ちたいと思ったおっさんはツイッターを始めるのである。

 

 対してブロガーはどうか?堂々と男らいしいではないか。自分の思考は、140字などという猿の文字制限で縛ったりせずに、しっかりと味わいのある長い文章で書き連ね、読み手の心が豊かになるように推敲する。自らの文章をツイッターのように垂れ流しにせずに、あくまで読み手の選択と判断に委ねた上で、いつでもいくらでも読めるように努める。「itスペシャリストが語る芸術」のように優れたブロガーは毎日2回もブログを更新し、悩める人に日々寄り添う。たまに下らない新書を出すような世間一般の「哲学者」どもとは、偉い違いではないか?

 

 更に、ブログを書くとはとても謙虚な行いなのである。何故なら、ブロガーは「自分にできること」を謙虚におこなってるからである。かの勇敢なストア派哲学者の一人エピクテトスはいった。「自分にできることを努力せよ」と。社会を変えるとか、人に物を教えるとか、そんなのは機会と環境に恵まれた人が張り切ってやればいいのであり、一般の人が哲学をするには、「ブログを書く」という自分にできることをすれば充分で、それは優れた美徳なのである。職場にある嫌な人間を、理解力のない愚かな上司を、歩きスマホをするホームのおっさんを、矯正する義務など哲学者にはない。彼等が愚かで幼稚なのは彼等の責任であり、我々の勝手知ったることではないのだ。しかし、我々にはブログを書くという責任がある。何故なら哲学者だから。彼等がいかに愚かで醜く、不勉強で不誠実で、いかに破廉恥な欲望につき動かされて無神経であるかを、赤裸々に綴るのである。その綴る瞬間我々の魂は自由になり、責務を果たしたことに喜びを感じる。何故ならそれは、自分にしかできないことなのだから。歩きスマホは誰にでもできる。しかし、その愚かさや醜さをいかに叙述するかには、自由がある。この点では、芸術家も哲学者である。表現の自由とは魂の自由に他ならない。哲学者とは自由の模範を示すものであり、ブロガーは常に自由なのである。

 

 これと対照的なのがツイッターで不平不満を垂らす「フェミニスト」なる存在である。彼女らには子供ほどの教養も根気も文章力もないから、ブログで丁寧に自説を語るという謙虚な行いができない。140字にも満たない雑な文章に自分の欲望を恥知らずにもぶちまけ、不平不満を見ず知らずの他人の行いに平気で無神経にぶつけ、軟弱にも自分が損をしたと感じたら子供のように喚き散らし批判を殺到させ、目につくもの全てを炎上させ、優れたクリエイターの邪魔をし、世界を破壊する。何よりも自分達が性欲から自由になっていないのに、他人の自由を奪おうとする。もっとも、クリエイターや哲学者達は、愚かなフェミニストとは違って常に自由の種を自分自身の中に持っているから、そんな攻撃は回り回って結局はフェミニスト自身を不幸にするだろう。もっとも、現に不幸だからこそ、ツイッターなんかに屯しているのだが。

 

 大学教授や学校教師も同様に、自由とは言い難い。彼等は何よりも名誉欲や虚栄心の軛に縛られて、学問の自由から遠く隔たってしまった存在だ。自説を誇示することに固執するあまり若者を自身の欲望の対象としてしか見れなくなり、野良ブロガーにはるかに劣るほど思想を枯渇させてしまった。彼等の語る道徳は薄っぺらく時代遅れで、権力者に媚びるものでしかない。哲学を志すものは誰でも、権力に媚びることは許されない。それは魂の手枷足枷となり、欲望から自由になるのを阻害し、自らの思索を愚劣極まりないものにする。逃れるためには、匿名でブロガーになることをお勧めする。もっとも、彼等にそんな風に自分と向き合う勇気があるかというのは、また別の問題である。

 

 ついでにいうとブログはとてもメンタルヘルスにいい。おそらく瞑想と同じ効果があるだろう。箱庭療法にも似てるし、心がとても整理される。開運効果もあるだろう。セロトニンが分泌されてるのが分かる。セロトニン。これほど哲学者に相応しいホルモンがあるだろうか?イメージカラーは青。どこまでも広がる青い空と海の色。心は落ち着き、判断は理性ただ一つに委ねられ、決してみっともなく取り乱すことも、不安に狼狽えることもしない。賢者のホルモンであり、徳である。ブログを書くとセロトニンが分泌されるなら、ブロガーは間違いなく、優れた哲学者たりえるのである。

 

 

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