徒然なる哲学日記

徒然なる哲学日記

日常生活の出来事にたいする考察(セネカの倫理書簡124通の英訳からの訳を公開してます)

日本人は仕事しない癖に失敗を許さない

 

 要するにそれって、仕事するのを許さないということなのだろうか。よくこんな国民性で経済大国になれたものだと思うが、それほど承認欲求が強かったということか。しかし、経済がグローバル化するとやはり価値のあるものを生み出せる企業が強い。農作物にしろ、電子機器にしろ。ガラパゴスなノリで承認欲求だけをモチベーションに仕事してるフリを続けても、そんなもの輸出できるものではないから、外国人からしたら何それ美味しいのという感じである。

 

 どこの会社にもコンプライアンスとか何とか委員会とかハラスメントとかでうるさく騒ぐ人はいる。そんな人は弱いものいじめは平気で見て見ぬフリをするか加担するような人が多いのだが、それはさておき、そうした連中の失敗に対する怯えようと言ったらない。常にビクビクして必死でサボる理由を探している。「自分の仕事」というものを持たないから、他人に口出しすることや人事で遊ぶことや人を見張ることで承認欲求を満たしている。失敗しない仕事だ。文句を言いだけなのだから。だが、コンプライアンス違反というのはコンプライアンスの問題ではない。単純に、やる気の問題である。やる気があれば多少のコンプライアンス違反が起きてもカバーできる。誤魔化しが起きるのは、上にやる気がなく、失敗を報告したら怒られるからである。やる気があれば怒らない。次にどうするかを考え指示するのが上の仕事だから。だからコンプライアンスがどうこう騒ぐのはその時点で既にやる気がない。やる気がないから問題になるし、やる気がないから他人にケチばかりつける。やる気がある人は常に自分で自分にケチをつけている。

 

 とにかく日本人は仕事をしない。勉強もしない。サッカーも弱い。人間関係も低劣だ。結婚も恋愛も殆ど世間体のためにしてるようなものだ。とかくあらゆることに無気力でやる気がないと言っていい。騒いでうるさい癖に中身はない。朝早く会社に来て夜遅く帰る癖に仕事は何もしていない。ただ大声を出したり大袈裟に体を動かしたり大層な雰囲気で会議をしたり大変見辛いごちゃごちゃしたパワーポイントのスライドを作って遊ぶくらいである。全部、やる気のなさの表れである。せめて読書くらいしろ、生き方に必死さが足りない。