徒然なる哲学日記

徒然なる哲学日記

日常生活の出来事にたいする考察(セネカの倫理書簡124通の英訳からの訳を公開してます)

みんな読書すらしない癖にマウントを取るのに必死すぎる

 駅のホームとかでポケットに手を突っ込んで歩き、わざわざ転落する危険性を増やしてまで格好つける人が昨今とても増えた気がする。誰に何をアピールしてるのか通学途中の女子高生や女子大生やOLからの逆ナン待ちなのか何なのか知らないが、そこまで必死に格好つけなくてもいいのにと思う。そして一人で線路に転落してくれるならまだしも、ポケットに手を突っ込んでると転んだ時に他人を巻き込んで線路に転落する可能性が高い。本人が死ぬのはまだしも、他人を巻き込んで殺す可能性をわざわざ上げてるのだから完全に異常者である。駅の狭いホームや人の多い階段でポケットに手を突っ込んで歩いてるバカがいたら、人殺しがかっこつけて歩いてると思って距離をおこう。彼等は見計ったかのようにバランスを崩し、タイミングよくあなたを線路に突き落とすことを虎視眈々と狙ってるのと何ら変わらない。

 

 会社のおばさんが未婚の男性の人間性についてあれこれ語って偉そうにしていたが、当のおばさんは低学歴で特に仕事ができる訳でもとりわけ親切という訳でも何か芸術の素晴らしい才能がある訳でもクックパッドに伝説のレシピを投稿してる訳でもない、ただの薄汚いほうれい線の醜いおばさんである。そんなおばさんでもおおっぴらに人間一般について評論し、自分は何か素晴らしく本質を見抜く能力がある特別な人間だと思ってるらしい。せめて読書くらいしてから人間論を語ってくれないだろうか。字が読めないのか。時間がないのか。職場で人の悪口言う時間を読書に充てろ。醜さが幾分マシになって、チンパンジー並みの語彙力が少しはマシになって一石二鳥だ。喋るな。読書しろ。

 

 低学歴だろうと無資格の凡人だろうと、全く読書しない何も芸術的才能のない人間だろうと、誰も彼もが自分は特別な「本質を見抜く力」があると思っており、貧困な語彙力であらん限りのポエムを、職場や教壇など、皆あらゆる場所でかっこよく披露する。それがこんな風に、ネット上のブログならまだしも、職場というのは半公共の場なので、何の取り柄もない凡人が世界や社会や人間について偉そうに語るのを聞かされると日々耳が腐りそうになる。自分が長く職場にいたということで、おばさんは何か自分が後輩よりも世界の真理を深く知っているものと思っているらしい。こういうおばさんを見ていると、一つの職場に長居するということはやはりリスクでしかない。忍耐云々とかいうこと以前に、単純にバカになるのだ。長くいただけで自分が偉くなったと勘違いするようになる。そうならないためにも、機会があれば出来るだけ頻繁に職場を変える方が、ボケ防止にはいいのかも知れない。どんなに親切そうな人でも、3年も同じ職場にいれば腐って噂好きの陰湿な性格になる。それは言ってみれば3年放置されたバナナのようなものだ。腐ってカビが生えて腐臭を放つ。同じ職場には3年はいた方がいいというのがいるが、それはバカになるまで転職するなと言ってるのだろうか。

 

 で、ボケ防止の目的もあって僕は普段からできるだけ本を読むようにしてるのだが、自分を地頭がいいと思ってる低学歴の人達はこれがまあ本を読まないのだ。自分が知ってること、知ってる世界が全てで、自分が知らないこと、学ぶべきことがあるということを認めない連中だ。自分が知らないことはないと思ってるから、いつまで経っても成長しない。同じことを考え続けるしかできない。そんな人間は、感情のマネジメントもやはり下手だ。同じような感情を不埒な心の赴くままに野放しに活動させ、自分のしょうもない感情に何か崇高性があるかのように、他者に八つ当たりをして垂れ流す。分かりやすい例でいうとフェミニストだ。連中は低学歴で勉強しない。理系科目をやってきてないから論理的に考えることができない。ただヒステリックに喚くことが勉強だと本気で思っている。そんなバカでも殺されずに生きていける日本は平和だ。でも有事になれば、フェミニストみたいなバカは真っ先に死んでいくだろう。恐竜映画で最初に食われるのは鼻息の荒い感情的なバカである。状況を冷静に分析して、最後まで学び続ける態度でいると死なない。つまり読書しない人間は死ぬということである。読書しよう。