徒然なる哲学日記

徒然なる哲学日記

日常生活の出来事にたいする考察(セネカの倫理書簡124通の英訳からの訳を公開してます)

残業と承認欲求

 大して創造的な仕事をしてる訳でもないのに、やたらと残業をしたがる人達がいる。どうでもいい仕事を引き伸ばしてやって、贅沢のための余計な金を稼ぐと同時に、会社内で仕事熱心だという評判を手に入れたいのだろう。

 

 いい歳をしてやたらに女性社員からの評判を気にしてしなくていいような仕事をしに朝早く出社しているおっさんがいたが、大して創造的なことをしてる訳でもなく、ただの単純作業をしに来ていた。女性から仕事熱心という評判を得たいがために、わざわざ朝早く起きて、朝早い電車に乗って、誰もいない会社でどうでもいい作業をする。その必死さにはある意味敬意を払うべきかも知れないが、残業代をきっちり貰ってるところが面白い。どうでもいい作業で時間を潰すことに抵抗がないだけでなく、そんなことで金を貰うと同時に仕事熱心という評判まで欲しがっている。ここまで来るとなかなかに惨めだ。

 

 そもそも会社で本当に残業が必要になるケースなど滅多にない。会社の仕事は誰にでもできるようなものが殆どで、誰にでもできないことには賃金も発生しにくい。誰にでもできることを自分にしかできないかのように誤魔化し、無駄な手間を発生させ会社の金を食い潰す人間は不良債権である。そのような不良債権を抱えるのは余程余裕がある会社だろうが、今の円安の日本にそんな遊んでる余裕のある会社があるのだろうか。

 

 まあ要するに残業とは承認欲求がさせるもので、本来は会社のためにも自分の人生のためにもならないものである。会社にとっては無駄金で、自分の人生にとっても無駄な時間である。残業代が貰えるからいいと思う人があるかも知れないが、どうでもいい仕事をして承認欲求の期待に胸を膨らませてヤキモキしながら過ごす無駄な時間が増える分、金を遥かに凌ぐ悪影響が人生にもたらされる。実際僕の知る無駄な残業好きな人間は、常にイライラしてて不機嫌で、およそ幸福な人間に見られる穏やかな態度とはかけ離れている。日常の言動にも無駄が多く、無駄な発言が多い。ちょうど小泉進次郎のように、余計なことばかりする無能な働き者と同じである。進次郎も不機嫌を平気で顔に出す男で、ノドグロの話を聞いているんじゃないと言われたら大層不快になったと見え、露骨にふくれた顔をメディアに見せた。進次郎も承認欲求がたいへん強く、どうすれば注目されるかということをマスコミに相談していたらしい。どうすれば国をよくできるか考えるべき立場にいる人間の頭の中が、どうすれば目立てるかということだけに占領されているのは悲しいことだ。そしてこれは、全ての無駄な残業をしてる人間に当てはまるのである。

 

 会社にいる時間に比例して、人間というのは創造力を失っていく。だからどうでもいいことで長時間職場にいる日本人が無能なのは当たり前なのである。残業と承認欲求に自分の人生を依存し、創造的に歩んでこなかったツケが、円安その他もろもろの形で返ってきてる訳だ。老害というのはそれでもそんな生き方のまま逃げ切ろうと目論んでる連中で、まさに自分だけよければいい人達だ。それはそれで一つの生存戦略かも知れないが、この世に逃げ切りというものは本来は存在しない。悪事はそれを犯した時点で既に罰を受けている。悪事を犯したというその事実そのものが、何より重い本人への罰となる。承認欲求に縛られた人生の惨めさというのは、それ自体自ら隷属を選ぶ人への罰なのである。