徒然なる哲学日記

徒然なる哲学日記

日常生活の出来事にたいする考察(セネカの倫理書簡124通の英訳からの訳を公開してます)

結婚しても未熟な人ほど、結婚を勧める不思議

 「シングルハラスメント」なる言葉がある。主に職場で独身の人が結婚してる人に「まだ結婚しないのか」「結婚してこそ人は一人前だ」などとおよそ一人前とは程遠い既婚者の方々が、ありがたいアドバイスをくれることをさして言うものだ。彼等立派な既婚者の方々はいつも不倫の機会を伺い若い女子社員に自分が有能だとアピールすることに忙しいので、独身者を見ると格好の餌食だと思い、このような言葉を口にする。マウントをとりつつ、自分は魅力ある既婚者だと若い女子社員にアピールできて、一石二鳥だ。女性の社会進出が進み、現代ほど不貞行為が男らしさの証とされている恥ずべき時代もそうそうないだろう。結婚の中にある徳を踏み躙ろうとする人間ほど、結婚が得であると語るから不思議なものである。まあ、得をするために結婚するのなら、尚更する意味はないが。

 

 結婚して人が成長するなら、何故既婚者であるおっさんはいつまでもパワハラをやめないのだろう?何故子供がいるのに、部下の話を聞くことができないのだろう?何故奥さんがいて子供がいて守るべきものがあるのに、平気でいい加減な仕事をして部下に責任を押し付けて、若い女子社員を物色し、要求が満たされないと分かったらヒステリックに喚き散らして、人事課に泣きついて休職したり部下を売ったりするのだろう?少なくとも僕が見てきた「既婚者」の社会人は上に挙げたような恥ずべき人間が大半で、優しかった先輩や親切だった上司の中には、独身も少なくなかった。中でも既婚未婚で人を判断する上司は、学校で陽キャラと陰キャラで露骨に態度を変える教師に通じるものがある。文章にするのも憚られるほど恥ずべき精神の持ち主である彼等は、若い人を品定めしていかに自分が利益を得るかということしか頭にない。

 

 不貞行為を恥とも思わない男は本当に増えた。奥さんがいながら若い女子社員がいる飲み会に嬉々として参加し、自分の恋愛経験自慢を長々と語る「既婚者」がいた。彼は自分のそうした不埒さを、何か男らしさの証だと思っているかのように、誇らしげに「恋愛武勇伝」を女性に嬉しそうに語っていた。かといって彼が何か優れた技能や知識を持っていたり、一芸に秀でていたり、教養があったり部下に優しかったりするのかというと、そんなことは全くない。僕が知る彼は下らない仕事をさも重要なことであるかのように騒ぎたて、その面倒な部分を他人に押し付け、押し付ける際にも横柄な言い方でいちいち他人を不快にさせ、不快にさせる権利がある自分は優れた人間だと周囲の人間や女性にアピールをしている。なんともみっともない、文章にするのも情けなくなるような人間だが、実際、今の日本の職場にはこんな恥ずべき人間があふれている。だから日本の労働生産性は低く、賃金はもはや新興国並みに落ちぶれ、経済成長は望めない。仕事をしない人間が、自分は既婚者であるからという理由で優れていると思い込み、ロクに仕事もせず下の人も育てず、女子社員に包容力のある既婚者だとアピールすることに躍起になっていて、会社の業績なんてどうでもいいと思ってるからだ。以前ツイッターという猿御用達のSNSで、独身をリーダーにするなという戯言が話題になっていたことがあったが、あれは既婚者である自分をリーダーにして、若い女の子をあてがえと言っているのだろう。そんな上司は新入社員の容姿を逐一気にして、自分の場所に来る女の子は彼氏持ちだろうかということを四六時中気にしてやきもきして、仕事のことを考える時間なんて忙しくて持てないだろう。

 

 別に既婚者の中に優れた人はいる。が、あまりにその数が少ないので、やはり既婚かどうかはあまり人格には関係ないだろう。僕が敬愛する「itスペシャリストが語る芸術」の著者の方は独身だが、不倫する機会を毎日虎視眈々と伺ってる世間一般の不埒な「既婚者」様達より、はるかに多くの人の救いとなり、導き手となり、よき上司として指導し、よき先輩として寄り添い、よき友として語り合い、よき伴侶として人々を支えてきたし、これからも支えていくだろう。大半のサラリーマンの既婚者様の方々より遥かにこの宇宙に必要な存在で、優れたリーダーである。彼が既婚者となって、日々若い女性を狙う恥ずべき人間に落ちぶれた姿など想像できないし、したくもない。そんなみっともない姿は、日常目にする恥ずべき上司や先輩方で充分である。

 

 不倫をする男は大体が女々しく、およそ賢者と呼ぶに値しない。既婚者を免罪符に、それでも自分は何か優れた徳があるのだろ開き直るなら、もはや彼に救いはない。同じ理由で、パワハラをする人間は女々しい。大声で怒鳴り散らす割にその性根は臆病で小心者で、大それた欲望を抱く割に行いは姑息で、周りからどう見られているかを常にビクビクしながら気にし、自分の権勢を保つために、大人しそうな人に威圧的な態度を取るという無駄でかつ見苦しい努力に血道を上げるのである。

 

 それでも彼等が、自分の未熟さを自覚し、謙虚に生きるならそれらの欲望にもまだ徳の入り込む余地があっただろう。不倫をしようが何をしようが、部下に優しくし、己の責務を果たすのであれば、彼はまだ人間として見込みはあった。しかし現代の歪んだ価値観の中で彼は自分が既婚者であるから立派で優れた人間であり、包容力故に不倫する権利があり、家族がいる故に苦しい労働を免れ、よきパパであるが故にパワハラの責任を有耶無耶にし、欲望のままに生きた上で聖人の評判を欲しいままにし、道徳をこれでもかというほど踏み躙り、職場を地獄に変えることに喜びを見出すのである。

 

 「自分は結婚してるから立派だ」などと、このような愚かなことを本気で思えるほど、現代人は悪徳を恥じる心を失ってしまった。それのみならず、「自分は立派だから不倫もパワハラも許される」「自分は立派だから仕事をしなくていい、仕事してるフリをして残業時間中も雑談して、部下の悪口で盛り上がろう」このように考える人間が本当に増えた。若い人達はこんなみっともない大人を見て、職場を去るか仕事のやる気を無くすかになり、日本経済の先行きはますます曇っていった。

 

 徳があれば、結婚してるかどうかなど、大した差ではない。些細なことに狼狽え、日々を恥ずべき卑猥な妄想で満たし時間を無駄にするなら、彼にとって結婚したことは弊害にしかならず、悪徳の免罪符になった分、より大きな形で、それを償わなければならなくなる日がくるだろう。

 

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