徒然なる哲学日記

徒然なる哲学日記

日常生活の出来事にたいする考察(セネカの倫理書簡124通の英訳からの訳を公開してます)

アドバイスはいかなる場合でもアド・バイアスである

 会社で「相談があるんですけど〜」と上司に言ってる女がいたらそれはただの告げ口か女の側からの不倫の誘い以外何もないというのが相場だ。そもそも人に相談して、いいアドバイスが得られて人生が好転した人なんてこの世に一人でもいるのだろうか?自分の感覚以上に信頼できる他人の適当で無責任な発言なんてある訳ないし、誰かのアドバイスなんてのはいかなる場合でも単に偏見を加える(すなわちアド・バイアス)ことにしかならないのだ。

 

 読書は別である。読書は過去の偉人に対する積極的な相談ではあるが、前頭葉を活発に働かせる主体的な語らい合いである。しかし、仮に作者が現在に生きる生身の人間だとしても、直接相談するよりも、やり取りもなく一方的に読書して心の中で相談するほうが、遥かにいいアドバイスが得られるのである。だから、人生における重要な問題は、極力生身の人間のアドバイスなど受けない方がいい。そんなものよりは、風の音や木のそよぎ、ふと見上げた空の色や何気なくつけたテレビのチャンネルの方が、遥かに優れたアドバイスをくれるものだ。

 

 そもそも、優れた思考やアイデアは自分を見失わないことから生じる。いわゆる自己信頼だ。偉大な発明家がベッドに横になった瞬間にアイデアが浮かんだという人が多いが、寝る直前というのは、まさに「自分だけの世界」に入れることに精神が高揚して思考が自分らしく柔軟になっている時間であるからだ。うつ病でもない限り、眠る直前まで他人に思考をあれこれ邪魔されロクな考えが浮かばないなんて人はいない。

 

 「俺がアドバイスしてやる」とかいう教師や上司が、いかに有害なバイアスを植え付けてきたか、少し人生を振り返れば分かる筈だ。僕の比較的新しい記憶のなかでは、あるバカな上司はホリエモンの本を読むことを勧めてきたし、あるバカな教育者はうつ病を治すのには薬が有効だとか言っていた。どちらも発言を聞くだけでバカだと分かる人にはそれほど有害ではないが、無垢な少年少女がこのように頭の悪い大人からアドバイスを受けてしまっては取り返しのつかない悲劇が生まれるかも知れない。実際、頭の程度の低い教育系・自己啓発系youtuberやブロガーに影響されて貴重な金と時間をドブに捨ててしまっている哀れな大学生の何と多いことか。大学生が読む価値のある本なんてシュタイナーの著作以外にあるのかというのが僕のアドバイスだ。だがシュタイナーは、人智学を教えるものは決してアジテーター(扇動者)にはならないと説く。つまり、決してバイアスはアドすることがないと言っているのだ。これほど謙虚なアドバイスを与える人間がいるだろうか?教師や上司、よくテレビに出る大学教授や知識人ぶったyoutuber、知名度そのものしかビジネスのタネにできないインフルエンサーの方々は、自分が与えるアドバイスが、全て偏見に過ぎないと理解すれば、優れたアドバイサーになれるだろう。