徒然なる哲学日記

徒然なる哲学日記

日常生活の出来事にたいする考察(セネカの倫理書簡124通の英訳からの訳を公開してます)

低学歴が死刑になる世界だったら

 呑気に学歴コンプレックスなんか発症してる場合ではないと思う。低学歴でも殺されず、最低賃金が保障される日本という国はとても平和だ。低学歴であっても長く会社にいれば高学歴の新入社員に偉そうにしても許されるし、どこかのタレントのように東大生をバカにすれば、一瞬でも自分が頭よくなったと錯覚できる。学歴は親ガチャだの何だの文句言って、努力は関係ないとかいうバカもいるが、だったら政治家もスポーツ選手も完全に親ガチャだし、少なくとも一人で机に向かってお勉強するという努力をしてきた高学歴を叩くより先に小泉進次郎を叩くべきである。

 

 高学歴をやたらに目の敵にする低学歴を見ていると、よくもまあそこまで傲慢になれるものだと思う。その低学歴共は普段何か一生懸命努力したり読書して教養を身につけたりしてる訳でもない。爬虫類の脳が命じるままに、ただ感情的に、食べたいものを食べて、言いたいことを言って、見たいテレビを見て、適当にモブキャラらしく生きている。語る言葉もテレビドラマか何かの引用とすぐにわかるような薄っぺらさで、鬼滅と呪術にハマりスパイファミリーにハマり、好きな漫画一つ自分で決めることのできない連中だ。要するにマトモに生きていないのである。マトモに生きていない癖に学歴なんか気にする意味が分からない。学歴を気にする前に本読まないのを何とかしろと思う。本を読まない人間とは会話をしてて苦痛だ。語彙力が貧困だしテレビに映るバカが画面から出てきて喚いているようで頭が痛くなる。「世の中学歴じゃない」とバカは言うが、じゃあせめて読書くらいしたらどうなんだ。読書はどんな低学歴にも許されてる努力で、無限に賢くなるための一番簡単な手段なのに。

 

 学歴コンプレックスをこじらせた低学歴はこの社会でみっともなく喚き散らして欲望のままに振る舞うことを許された赤ん坊のような存在である。本人達もそれが分かっているからあえて低学歴という道を選んだのかも知れない。親ガチャの成功者だ。僕からすれば低学歴なのに最低賃金がキッチリ保障されていて、殺されることも殴られることもない人生を生きてこれたというだけで、ものすごく恵まれているように見える。恵まれすぎて精神がすっかり甘やかされてダメになったんだろう。職場でもマトモに仕事せず適当に後輩の高学歴社員の陰口を言って何か素晴らしく功績を挙げた気になってる低学歴のおっさんを沢山見てきた。年齢くらいしか長く生きた証を持たず、どんな新入社員よりもやる気がなく、まさしく癌のような存在だ。本人達は自分は学歴はないがコミュニケーション能力があると思っているらしい。使う言葉と言えば「ヤバい」「臭い」「うるせえ」「嫌い」といった今時の女子中学生でもこんな幼稚な言葉は使わないだろうといった類のものだ。これだけ貧困な語彙力であるにも関わらず自分はコミュニケーション能力が高いと本気で思い込んでる連中だ。気に入らないことや思い通りにならないことがあると、テレビで学んだ言葉を無理矢理状況に当てはめて、「ヤバい」とか騒ぎ立てる。言葉を丁寧に使って状況を冷静に把握するというのは、優れた大人なら誰もが身につけているコミュニケーションに必須のスキルである。そんなものを持たず培もせずに、ただ単にテレビで見た言葉を適当に繋げ合わせて自分の今の状況にひたすら不満を唱えて他人にも八つ当たりするだけの彼等低学歴に擁護の余地などない。「俺は学歴がないから評価されない」とかいう奴は、そもそも地頭が悪いから他人に嫌われているだけなのである。それを自覚して、謙虚に読書に励むなどして考え方の幅を広げれば人生は無限に豊かになるのに、哀しいかな彼等は学歴コンプレックスを言い訳に甘え続けることを望み、惨めなままでいたがるのである。