徒然なる哲学日記

徒然なる哲学日記

日常生活の出来事にたいする考察

面接官「趣味は何ですか」ぼく「哲学です」

 読書やアニメ鑑賞、映画鑑賞が趣味として認められるなら、哲学することが趣味として認められていけない訳があるまい。実際に、かの偉大な哲学者であるセネカも、哲学をすることのないものは病んでいると言っている。それくらい、2000年前の人間にとって当たり前に哲学は楽しめるものだったし、現在でも人間の性なんてそうそう変わらないから、哲学が楽しくないはずはないし、人間の生きる理由や苦しみへの対処法を切実に考える分、下手な読書や芸術鑑賞よりよほど有用である言えよう。特にストア哲学は。

 

 趣味にまで承認欲求を持ち出すと、どんな趣味もとたんに陳腐でつまらないものになる。なるほどフットサルやサーフィンやバイクやアウトドアは人に自慢できる立派な趣味かも知れない。だがどれも一人でやることは難しく金も維持費もかかる。女の子にモテるかも知らないが手間と労力の観点から自分にはモテない。そしてこれらの趣味を維持するには多大な気苦労を維持しなければならない。何故ならこれら立派な趣味は常に承認欲求に支えられており、他人の目線や評判によってその趣味としての価値が二転三転し、ずっと安定して楽しむことは難しいからだ。

 

 比べて哲学というのは日常生活の維持に必要なものであり、それでいて日常生活から離れることができる非常に優れた機能を持つ趣味なのである。書籍を買うのにもそんなに金はかからないし、お金がなくてもネットで充分に学ぶことができる。自分が尊敬する人のブログを毎日読むとかでも充分に哲学になるだろう。特にストア哲学について学ぶことは現実の問題に前向きに対処する気持ちを思い起こさせる。引き寄せの法則やら巷のスピリチュアル本は、どんな状況でも起こせるようになることを幸福と呼ぶが、ストア哲学は、どんな状況にも屈せずに自分を見失わないことを幸福と呼ぶ。多分、現実社会の理不尽さを目の当たりにした人間の心を打つ教えは後者だ。前者の教えはあまりに楽観的で、幸福を他人任せにしすぎている。幸福には徳は必要ではあっても、快楽は必要ないのである。こういったことを日々考えさせて心に充足感をくれるのが哲学であり、心さえ豊かであれば無限に自分で自分を幸福にしてくれるのである。そして健全な精神のみがそれを可能とする。だからセネカは、哲学することのない人間は病んでいると言ったのだろう。実際、自分の外側に快楽や承認欲求という偽物の快楽を求めて落ち着きなくうろつき回る人が病んでないはずがないだろう。人に見せるためだけにつまらない趣味に没頭する人間はすでに充分なくらい病んでいるのである。