徒然なる哲学日記

徒然なる哲学日記

日常生活の出来事にたいする考察(セネカの倫理書簡124通の英訳からの訳を公開してます)

職場でどうでもいいことに狼狽え騒ぐ人達

 職場でコロナウイルスにかかった人が出て、そのことでああだのこうだの噂話をして騒いでる人達がいる。どんな人達が騒ぐのかというと、普段から人の噂話やら人事がどうやらと下らないことで騒いでる人達だ。主におばさんが多いが、いい年をしたおっさんでもコロナを騒ぎ立てる絶好のイベントと捉え、はしゃぎたがる人は沢山いる。そんなおっさん達は普段からどうでもいい仕事で騒ぎ、下らないことをさも重要なことかのように見せかけることに長けている。

 

 何より彼等彼女らは簡単に狼狽え騒ぐ。それも会社の不利益になるようなことに騒ぎ立てるならともかく、大抵は自分が周囲の人に悪く思われたりしないかと悲観的になり勝手に不安になり、ひどい人なら部下や後輩にキレたりする。そんなに評価を気にしなきゃいけないほど重要な仕事もしてないのだから、もっと気楽にのんびり構えればいいのにと思う。その方が間違いなく評価も上がるだろう。書類の書き方がどうだとか物の置き場所がどうだとか、死ぬほどどうでもいいことをとても重要なことのように騒ぎ、とても重要なことを軽視する。

 

 彼等は何か不安になることで、会社の将来を憂いていると周囲にアピールしているのだが、みっともなく狼狽えるその姿そのものが、彼等が会社にもたらしてる損害そのものだろう。目的を見据えず、目先の虚栄心に囚われ、問題の本質を見誤り、あげくその尻拭いは真面目な人やちゃんと仕事をする人が負わされることになる。

 

 普段から真面目に仕事をしていないから、仕事の優先順位というものが彼等にはない。だから、どうでもいい仕事で自分は何か大変なことをしてますアピールをし、狼狽えることで、自分は今仕事に忙殺されてるアピールをする。不安や不機嫌を簡単に顔に出す人達は大抵が暇人で、幼児のようにみっももない心を持っている。自分が狼狽えたら騒いだりすれば、ママがやってきてあやしてくれると思ってるのだろう。

 

 彼等彼女らは常に暇を持て余し、死についてつゆほども意識することのない堕落した人生を送り、コロナウイルスごときで大騒ぎをし、騒ぐことで自分が何か社会のためになる立派なことをしていますとでもいうようなドヤ顔をするが、彼等は何も意味のあることをしてないし、これからもすることがない。何故なら彼等は暇が許されるほど恵まれた環境で生きてきて、労苦の中で理性を培うという経験を積んでこなかったからだ。暇だからバカになったし、バカだから暇な時間を有効に使えない。四六時中自分の評判ばかりを気にし、かといって読書や勉強や内省で自分を磨くこともなく、卑猥な妄想やみっともない期待に胸を膨らませ、それが叶わないことに恐怖し、一人で勝手に腹を立てて不機嫌になり、それを職場で顔に出したらキーボードを激しく叩きつけたりしてアピールするのである。それでクビにならないのだから、日本の職場は本当に無能に優しい天国みたいなものだ。個人的には、不機嫌を顔や態度に平気で出して他人に気を遣わせたり、キーボードをうるさい音で叩く人というのは、仕事の目的がまるで分かってないし職場に遊びにきてるのと同じなので、即刻クビにでもするのが、本人のためだと思う。卑猥で下らない期待と妄想が彼等の生きがいで、それに向かって努力するという発想すらない癖に、分不相応にいつまでもその卑猥な期待と妄想に支配されて、不機嫌になるのである。コロナで大騒ぎするのは大抵がそんな人達で、本当は彼等は、コロナに罹って死ぬのが彼等自身のためになるのであるが、所詮は風邪の一種に過ぎないコロナにはそんな力はない。悲しいことに。