徒然なる哲学日記

徒然なる哲学日記

日常生活の出来事にたいする考察(セネカの倫理書簡124通の英訳からの訳を公開してます)

ブログをパワーポイントで書く人はいない、故にパワーポイントはゴミソフトである

 「microsoft office」には不要な機能が沢山あるが、その中でも指折りのゴミソフトがパワーポイントというプレゼンスライド作成用のソフトである。

 

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 「なんで?パワーポイントってプレゼンや講演に便利じゃん」

 「イラストや図形が沢山あって、伝わりやすいスライドが作れるじゃん」と思ったそこのあなたや、今日も「資料作成」と称して元気にパワーポイントでのスライド作成に勤しんでるそこのあなたは、間違いなくバカで仕事ができないか、無駄な仕事をして日本経済の足を引っ張ってる無能でニート以下の存在であるから、今すぐ貯金と給料を全額ユニセフに寄付することをオススメする。

 

 パワーポイントで作った資料というのは、一見すると分かりやすく、伝わりやすいように見えるが、実際はその逆で、分かりにくく、情報が正確に伝わるのを阻害するのである。何故か?それは、多くの場合においてパワーポイントで表現される情報は箇条書きにされ、無駄なイラストや図形でデフォルメされ、いらない矢印や四角やチャートなんかで脚色され、何を伝えたいのかが意味不明になるからだ。箇条書きにされた情報やイラストを見て、一見すると聞き手は理解した「つもり」になるが、実は何も理解していない。何故か?それは、パワーポイントのスライドの情報は常に断片的で前後の繋がりがなく、表現は常に統一性を欠き、聞き手が理解に思考力と判断力を行使することがなく、またそのための足場がまるでないからだ。

 

 数学の文章問題で、文章が短くなればなるほど、解くのが難しくなるのを思い出して欲しい。パワーポイントのスライドは常に必要な文章の流れを省略し、かいつまんで説明してしまうために、情報全体としての流れが阻害され、結果必要な情報が伝わらない。もしもパワーポイントが本当に優れたツールなら、ブログを書く人は皆利用しているだろう。実際は、ブログは文章のベタ打ちが当たり前だが、これで、パワーポイントよりも遥かに伝わりやすくなっているのである。文書だけで伝えるというのは手を抜いているようで実は多彩な表現力と語彙力と構成力と感性が要求され、読み手も思考を集中的に働かせることで深く理解してかく記憶に残すように読むことができるからだ。小説をパワーポイントで書く人はいるだろうか?論文をパワーポイントで書く人はいるだろうか?いないのは、パワーポイントでは情報が正確に伝わらないということを、優れた文章を書く小説家や、素晴らしい論文や書籍を書く学者は理解しているからである。パワーポイントというのは優れているようで、実は全てが中途半端なゴミソフトなのである。パワーポイントを使う全ての人は仕事してるフリをしてるだけのゴミであり、地球の電力や半導体素材という貴重な資源を無駄にしてるのである。

 

 パワーポイントではなく、ワードで長くしかし洗練された文章を書いて、人にものを伝える訓練をしよう。洗練された文章はイラストや図形で小賢しい虚飾を施したパワーポイントより遥かに美しく、人類全体にとって価値があるものだ。もしも古代の哲学者や文豪にパワーポイントが与えられたとしても、誰一人使うことはなかっただろう。そして、文章力は書けば書くほど上達するが、パワーポイントはいじればいじるほどバカになる。日本人の労働生産性が低いことの原因の一つに、パワーポイントをいじって遊んでるだけの人が沢山あふれていることがあるだろう。それはそうだ。パワーポイントで作られた資料は何の価値も生み出さない。人にものを正確に伝える力もないし、人の思考力も喚起しないし、作り手にとっても聞き手にとっても悪いことだらけだ。こんなものを使って仕事した気になってる人間は、学校の授業を板書して勉強した気になってるバカと同じで、一生懸命何かをやっているようで、実際は何もしてないのである。パワーポイントで作られた資料は、メモの殴り書きにも劣る。そこには何の魂も伴わず、後世に伝えるものも、人を慰めたり勇気づけたりするものも残さない。ただ「仕事したつもり」という卑劣で無価値な偽りの満足感を生み出し、人生において貴重な時間を無駄に過ごさせるのだ。無駄な時間の過ごし方の典型例としての存在価値はあるが、あくまで反面教師であり、それに深く関わってはならない。

 

 何よりパワーポイントというのは、全体に載せられる文章量があまりに少ないのだ。このブログでも、読み手の益を鑑みて、最低でも1000字以上は文章を書くように心がけているが、パワーポイントに書かれる文書の総量って、どのくらいのものだろう?人にものを伝えるのに、最低でも1000字は必要である。なのに、パワーポイントは文章が少ないことを誇りに思っている。それも、余計なイラストや図形が邪魔になって、頭に残らない。おまけに、文章の体裁をとっておらず箇条書きの単発まみれなので、まったく記憶に残らないのだ。かといってこのゴミソフトで長い文書を入れようとしても、横長のスライドは横書きの文章を入れるには読みににくく、結果、長い文書にも短い文章にもどちらにも適さないゴミソフトとなっている。

 

 以上のことから、パワーポイントを使う人間(ニンゲンという名の畜生)は致命的に頭が悪く、しかも人に情報を不正確に使えることに何の良心の抵抗も感じない極悪人であることが分かる。この極悪人は、パワーポイントを使って世の中に不要な情報(情報と呼ぶのもおこがましいが)という名の排泄物を撒き散らしているのであり、その悪徳は後世にまで残っていくだろう。まるで、放射性廃棄物のようである。ネットで学術情報やブログや論文を探してる人がやっとの思いで見つけた資料がパワーポイントで作られいたとしたら、見つけた人はこう思うだろう。

「情報を求める人がネットに沢山いるのに、このようにゴミにしかならない汚物のような情報源を平気で公開する人に、まともな人の心はない。参考文献にも引用サイトにもならない何の使い所もない資料であり、おまけに何が言いたいのかさっぱりだ。情報を断片的に見せて、読み手を煽り、それでいて文章量があまりに少ないために、何の参考にもならない。このようなゴミ資料をネットに晒す恥知らずの人間の愚かさは、後世に永く語り継がれていくべきだろう」

 

 人を「仕事したつもり」にさせ、労働生産性を低下させ、仕事の質を落とし、良心を辱め、悪徳に身をやつすようになる。パワーポイント中心の仕事をするようになった人間全ての顔はその悪徳故に醜くなり、利己心に溢れるようになり、畜生同然に成り下がる。人が老害と呼ばれるようになったり、認知症が進行する原因の一つに、間違いなくパワーポイントの存在があるだろう。

 

 それでも仕方なく上司の命令や、会社の都合でパワーポイントを使わなければならない人がいるかも知れない。そんな人は、このようにブログや掲示板などで、長い文章を書くという徳を積み重ねることで、パワーポイントを使う悪徳の埋め合わせをして欲しい。さもなければ精神はどこまでも堕落し、畜生にも劣る存在になるだろう。僕も、こうしてブログを書かなければ気が狂っていたかも知れない。パワーポイントというゴミソフトに人間性を破壊されないためにも、長い文章を書く場は、大切にすべきだろう。