徒然なる哲学日記

徒然なる哲学日記

日常生活の出来事にたいする考察(セネカの倫理書簡124通の英訳からの訳を公開してます)

鬼滅の刃の流行り方に日本の芸術教育の悪い所が出てる

f:id:potemalu02:20201018033752j:image 「本当に面白いと思ってるのか…?集団で夢を見てるだけじゃないのか?」

 

 漫画「鬼滅の刃」が人気で、先日映画も公開されて、大盛況とのことだ。僕も原作漫画を読んだことがあるが、確かにキャラの心理描写が丁寧で繊細でその模様も面白く、セリフ回しに独特のものがあって、好きな人はすごく好きな漫画だろうと納得がいく。個人的に、バトルの描写を画と勢いの良さで押し切っているのがとても好感が持てる。少年ジャンプのバトル漫画の多くは謎に「頭使ってます、複雑なバトルしてます」アピールが多く、そこに何だか小賢しいものを感じて、イライラさせられることが多いのだが、鬼滅の刃はそういったバトルの際の「頭使ってます」アピールを最低限にして、勢いとスピード感を重視しており読んでて気持ちがいい、古き良き少年漫画と言えよう。

 

f:id:potemalu02:20201018041317j:image少年漫画はとりあえずかっこいい必殺技を使ってればいいのである!

 

 人物描写も丁寧で、ジャンプのバトル漫画にありがちな、「強そうに見えたけど実は噛ませで一瞬で退場してその後出番がない」といった雑なキャラが殆どいない。特に12鬼月の上弦の月という6人の強キャラは、全員強さの表現も過去の描写も丁寧で、「ランクが上の癖に作者の息切れにより雑に退場する」というジャンプの漫画の敵幹部にありがちな展開がないのは非常に好感が持てた。特に上弦の1と2はその格に相応しく凄まじい強さで、味方の主要なキャラをちゃんと屠ってから退場していった。「強そうなキャラは強くあって欲しい」という読者の素朴な期待にしっかりと応えた、好感の持てる描写である。

 

f:id:potemalu02:20201018041607j:image6人が6人とも全員強く、キャラも立っているし過去の描写をしっかりしている。これが他のジャンプの人気漫画だと、1〜2人は一瞬で雑に処理したり、強さがイマイチ伝わらないようなキャラを混ぜてくるのだが、鬼滅の刃はしっかり描ききってくれた。

 

 さて、実際面白いは面白いのだが、そこまで大絶賛するほどのつもりはなく、漫画も気になる話のある巻を数冊買った程度である。特に序盤は、王道と言えば聞こえはいいのだが冗長な展開が続き、本誌で最新話を知っていなければ読み進めるのは苦痛であったと思う(面白くない訳ではない)。手放しで最初から最後まで絶賛しようとは思わない。だのに、世間では、最初から最後まで全てが神展開の如く持て囃されており、どこがどう面白いのかを細かく丁寧に自分らしい言葉で語る人が少なく、そこに日本人の芸術教育の危うさを感じるのである。これは、学校や家庭での日常の教育が危ういことをそのまま意味する。

 

 街中や電車で小さい子供が鬼滅の刃のグッズやおもちゃを持って楽しそうにしているのを見ると、微笑ましく思う一方で、本当に自分で好んで、鬼滅の刃を好きになったのだろうかと訝しんでしまう。やたらと鬼滅の刃好きをアピールしているタレントや芸能人は言わずもがなだが、小さい子供も、「有名だから」という理由で「鬼滅の刃好き」を強制されているのではないかと心配になるのだ。鬼滅の刃は確かに色んな敵が出てきて面白いが、主人公の武器の変化にバリエーションがなく、必殺技もそうそう数が多い訳ではない。従って、特に男の子にとっては、「自分だったらこの世界でこんな武器をもってこんな風に戦いたい」などの妄想の余地が少なくなるのだ。魂の力で武器を組み上げたり、様々な術を編み出したりするような漫画は、そこに読者の妄想がふんだんに働く。そう言ったワクワクするような想像を刺激するような設定や世界観は、どちらかというと男性漫画家の方が得意だ。鬼滅の刃は、自分だったらどんな日輪刀を作るとか、どんな呼吸を使うとか、もう少しそんな想像の余地が出るような設定にしてもよかったのではないかと思う。

 

 「みんなが面白いと言っているから」「売れているから」という理由で漫画やアニメを好きになるのは、きっかけとしては良くても、それを芸術に対する基本姿勢にするのはあまり良いことではない。人に漫画を勧める時も、「面白いから読みなよ、売れてるから読みなよ」というのでは、まるで説得力がないし、脅迫や洗脳に近いものがある。子供も無意識に大人が称賛するものを好きになる傾向があるので、ある程度は仕方ないかも知れないが、大人が売れているからという理由で無批判に鬼滅の刃を絶賛する態度を見せると、子供はそれを真似て、やはり無批判に、人気があるだけの漫画やアニメを無理に「好き」と言うようになる。それはやがてマイノリティの排除に繋がり、炭次郎に似つかわしくないような「残酷」さに繋がっていくのではないかと思う。

 

 芸能人が鬼滅の刃好きをアピールするのも、別に悪いことではないと思うが、どこがどう面白いと思うのか、自分の言葉で説明できないといけない。以前、とあるバラエティ番組で、人気芸人が「鬼滅の刃のいい所は、引き延ばしたりせす、キレイに終わったところ」と、5chで散々言われ尽くしたような感想を述べていることがあった。インターネットの掲示板に書かれていることをそのまま引用してテレビで語るなら、「芸」人の肩書きなんて捨てて、ニュースキャスターにでもなればいいと思う。そもそも引き伸ばそうが、面白ければ問題はないはずだ。引き伸ばして、面白くなくなるから問題なのであって、鬼滅の刃も続けていれば更に面白くなった可能性もまたあり、作品の評価を述べる際に「引き伸ばしてない」などというコメントは論点がズレている。こういったインターネットの掲示板に媚びて自分の語る言葉を持たないコメントも、「みんな一緒がいい、みんながいいと言うからいい」をよしとする日本の教育の悪い点が現れている。まして芸人なら、本質をついてかつ笑えるような評論をして見せるべきである。

 

 「〇〇の呼吸」という設定についても、呼吸は自律神経の基礎であり、ヨーガなどでも呼吸法を身につけることで、様々な力を身につけることができるという現実的な効果を知っていると、深く考察できて面白い。それを、しょせん漫画の設定の世界と捉えて、呼吸、呼吸と面白おかしく連呼する幼稚な大人が多いことにも辟易する。呼吸法を身につければ、実際に多くの病気を自分で治したり、通常では出すことの出来ないような力を出したり、ある種の霊能力を発揮することもできる。そんな風に、自分なりに深く考えたり考察する事で、漫画は自分の世界を広げ、人生を豊かなものにする。

 

 だから、漫画の好き嫌いを選ぶ権利を、他人に握らせてはならない。たとえそれが、親や教師や、親しい友人であってもだ。売れているから面白い?人気があるから自分も好きアピール?笑止!千万!漫画の好き嫌いを自分でしっかり選ぶことは、自我という日輪刀を鍛えるために絶対に必要なことである。炭次郎が刀の素材となる鋼を自分で選んだように、自分の人生を豊かにするための素材は、自分でしっかり選んで初めて、糧として活かされていくのである。