徒然なる哲学日記

徒然なる哲学日記

日常生活の出来事にたいする考察(セネカの倫理書簡124通の英訳からの訳を公開してます)

労働すると知性が劣化する

 社会人を長く続けている上司や先輩が理不尽なことを言ってくるということは、長年労働を続けているとマトモな知性が失われていくということを意味する。自己保身や責任逃れのために嘘つきになり、言ってることの一貫性がなくなってくる。あるいは、その場その場の気分や思いつきで指示を出すから、言っている内容が自分が過去に言ったものと食い違っていたりする。

 

「なぜ相談しなかった?」

「それくらい自分で考えろ」

 

 このような上司の発言は、ダブルバインドという理不尽の典型例として、もはやお決まりのものとなっている。こういった発言を平気で行える狡猾さというかセコさが、会社の中で生き抜いていくためには必須のスキルなのかも知れないが、自分の言葉に責任を持たないその場限りの思いつきの発言を続けていくと、嘘と真実の区別がつかなくなり、次第に知性が失われていくだろう。

 

 受験勉強では間違った答えを書くとバツがつくので、まだいくらかでも賢くいられるかも知れないが、社会人にとっての「正解」は真実や道徳ではなく、責任回避が出来て自分の昇進に支障が出ないことなので、理性に照らし合わせて間違った行動や発言をしても、バツをつけてくれる人がいない。つまり、自制心がない社会人は、どこまでもおバカになってしまうということだ。人は金さえ貰えれば生きていけるのだから、別にそれで生物の生存戦略として間違いではないが、人間の良心といった高貴な部分は、嘘や道徳的に見て間違ってることに対して本能的な拒絶心を持つように出来ている。シュタイナーは、嘘をつくことはアストラル領域では殺人に匹敵すると述べている。嘘をつく癖がつくと、霊的なことだけでなく自然科学的なことに対しての直観みたいなのも鈍くなる。また、噂話や陰口をしたり、それを鵜呑みにするようになると知性は光の速さで低下する。嘘をついたり理不尽なことを言うと、表面では気づかなくても、心の奥底では、魂は大きな苦しみを感じているのだ。

 

 だから、社会人のように制止してくれる人がいない立場の人こそ、自制心と理性を持って自分の言動をコントロールしなければならない。信念と道徳を持って仕事をすることは、魂にとても良い影響を与える。頭も、鍛えられるのだ。

 

 それにも関わらず日本の会社の多くのオフィス・工場・売り場・舞台裏では、これからも雑談や噂話・陰口が尽きないだろう。彼等彼女らは暇人なのだろうと思うが、暇なら労働時間を減らしてお家に帰ってからLINEでおしゃべりをすればいいのだ。それが、一日8時間働かなければならない日本の悪しき労働習慣のせいで、彼等彼女等は雑談や噂話で知性を低下させざるを得なくなるのだろう。

 

 また、仕事そのものに関しても、成果や中身が問われるというよりも、パフォーマンスとして完成されてるかどうかが問われる風潮がある。だから、やたら大きな声だったり、動作が大げさだったり、ややこしかったり、手間がかかって「そう」な仕事ぶりが評価されてしまう。そうなると、仕事を効率化させようとすることで発達するはずの知性が育まれず、いかに無駄な仕事を最大限自分のアピールの道具に利用しようかと考える、愚劣で卑劣な感性が育まれる。

 

 「幻の桜」というブログにあったことだが、スポーツを賛美するような社会では、このような傾向が強いとのことだ。スポーツのような無駄な動きをする人間を称賛すると、現実社会でも無駄な働きものが評価されるようになるという。そうして、自然破壊や弱いものいじめが横行していったのだという。甲子園が中止になり、東京オリンピックが延期になったことだし、ここらで、勿体ぶって働くことのみっともなさを再認識して、労働時間を減らすことを考えてみたらどうだろうか。