徒然なる哲学日記

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日常生活の出来事にたいする考察(セネカの倫理書簡124通の英訳からの訳を公開してます)

コロナが語る労働のオワコン性

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 コロナウイルスにより学校が休みになったり会社ではテレワークが推奨されるようになっているが、非常に素晴らしい風潮だと思う。大体、働いても豊かになれないこのご時世に、8時間も毎日働く必要なんかない。必要最低限の仕事だけして、残った時間は精神を豊かにするような生活をすればいいだけだ。


 それに、コロナウイルスの死者数もそれほど多くないし、健康な若い人たちなら死ぬ心配はまずないと思っていい。にもかかわらず、これだけあらゆる社会活動に自粛ムードが広まるのは、みんな既に、長時間労働パリピらしく働くことに疲れ切っているからではないだろうか?


 資本主義的な価値観でガツガツ働き、ガッツリ設けてガッツリ使うという考え方は最早既に時代遅れだ。言うなれば、甲子園やオリンピックみたく沢山の人のエネルギーを使ってパリピらしくはしゃぐような生活のあり方は、もう時代遅れだ。


 今はインターネットがあり、様々な娯楽を自分に合ったやり方で楽しむことができる。大勢であつまる必要もない。金もそんなにかからない。そして、人に迷惑をかけたり沢山のゴミを排出することもない。非常にエコだ。何故みんなそうしないのだろう?何故みんな、「いかにも」な娯楽で「楽しんでます」アピールをしたがるのだろう?旅行、グルメ、レジャー、イベントetc…。全部ゲームの中ででも楽しめばいいだろう。あつまれどうぶつの森でも買えば、いずれも楽しめる。しかも金も殆どかからない。


 要は、ガツガツ働いて、パリピ的に楽しむという生活スタイルは時代遅れということだ。コロナウイルスはそれを伝えているだけだ。


 働き方についても、今までのように、同じ場所にみんなが集まって、必要のない会議をして、無駄な雑談をして、定時まで仕事してるフリをして、残業時間中にまで雑談してダラダラ帰るというようなみっともない堕落した群れの働き方が時代遅れだということを、コロナウイルスは伝えているのだ。最低限のやることだけをやってさっさと帰り、家はインターネットや読書やゲーム、趣味や創作活動などを通して内面生活を充実させる。何故そんな人間らしい普通の生き方をしようとしない人が多いのだろう?何故不自然な集団を形成しようとするのだろう?何故ガツガツと自分の下等な欲望を満たすために長時間働こうとするのだろう?金銭欲、名誉欲、性欲…そんなみっともない欲望のために人は、仕事してるフリをして会社という狭いコミュニティで自分の存在意義をアピールする。みっともないことこの上ない。そんな輩に限って、コロナ対策にやれ消毒だやれマスクだのと口うるさくのたまい、会社内で非常時に対応する有能な人間であるとアピールしたがる。


 コロナウイルスの警告に従い、つつましやかに生きるべきなのだろう。世界規模で。ガツガツしたスポーツ的な競争はもう時代遅れだ。だからオリンピックは延期になった(中止になるのが一番いいと思うが)。これからの時代は、必要な仕事だけを最低限の時間でし、最低限のリソースで娯楽を楽しむ能力が重要になってくる。そして、自分で自分を充実される力が、人生を豊かにするだろう。それを自慰行為だとか、逃げだとか言う人がいるかも知れないが、大きな勘違いだ。自分で自分の精神生活を豊かにできる人は、真に自立した、自律ができる人であり、そんな人間を、大人というのだ。他人に満足させて貰おうとガツガツ働く人間はいつまでも子供なのと同じだ。ましてや、自分より遥かに歳の低い若者に満足させて貰おうとガツガツしてる老人など、排泄物を撒き散らしてるようなものだ。コロナウイルスは、そんなみっともない老人に対しても、救いになるのだ。


 4月からの生き方、働き方で、コロナウイルスがどうなるか決まるだろう。旧態依然の長時間労働パリピ的娯楽の価値観を捨てない人から、コロナの深刻な弊害に苦しめられていくことだろう。そして、初めからそんな価値観のない人にとって、そんな弊害は最初からないに等しい。これは医学生物学的にいって、極めて自然なことなのである。


 労働はオワコンである。